背景
聖書の中の
杯とは、罪人が受けるべき神様の怒りを意味することがあります(39)。
質問
注:
かっこの中の質問は、前の質問に答えがないときにだけ読んでください。
- 皆さんが苦しいとき、周りに何人、いてほしいですか。(どうしてイエス様はひとりでゲッセマネへ行かれなかったのですか)
- 3人の弟子はみんな漁師で、夜通し働いたことは何度もあったはずです。それなのにどうしてこのとき、わずか1時間、起きていられなかったのでしょう。
- イエス様がご自分の苦しみと悲しみを口にされたのは、このとき1回だけでした(38)。このときイエス様を悲しませたのは、何だったのでしょう。
- 皆さんが「死ぬばかりに悲しい」と感じたことがあれば、どんなときでしたか。
- 恐れる様子無く死に直面した人はたくさんいるのに、なぜイエス様は違いましたか。(イエス様がこの点で武士のようだったら、私たちに残されたものはどう違いますか)
- 人がうつ伏せになるのは、どういうときですか(39)。
- イエス様が、弟子たちにご自分のために祈ってほしいと言われなかったのは、なぜですか(40-41)。
- イエス様は41節で、どんな誘惑について言っておられますか。
- 39節のイエス様の祈りを見てください。このとき、イエス様はお父様と同じことを望んでおられましたか。
- この祈りの最初の部分は、どうして重要ですか。あとの部分は、どうして同じく重要なのですか。
- 私たちが、この祈りのどちらか一方だけを祈れば、どうなりますか。
- 2回目のイエス様の祈りは、どう変わりましたか(39、42)。
- イエス様が、1回とか2回で祈りを止められなかったのは、どうしてですか(39、42、44)。
- イエス様ご自身の願いは、祈っておられるうちに変わりましたか。変わったなら、どのように。
- 自分がだれよりも愛している人が、必要ならば皆さんを捨ててしまうようにと願うことができると思いますか。理由も言ってください。
- もし主が神の怒りの杯を受けられなかったら、私たちはどうなったと思いますか。
- 45-46節のイエス様は、それまでのイエス様とどう違いますか。(このとき以後、どうしてイエス様はそんなに落ち着いておられたのですか)
- もしイエス様が、ゲッセマネでの葛藤がないまま十字架につけられたら、どう違ったでしょうか。
- なぜ私たちも、自分のゴルゴタの前にゲッセマネが必要なのですか。
よき知らせ
イエス様が死ぬばかりに悲しかったのは、天のお父様の深い愛情がそのとき切れたからです。イエス様がその杯を代わりに受けてくださいましたから、私たちは受けなくてもいいのです。