背景
聖書の中で
「取りつかれる」というのは、悪霊が心の中に住み着くことです。これは精神病やてんかんなどとは別のものです。イエス様を信じ洗礼を受けた人は聖霊様が心の中におられるので、悪霊は住み着くことができません。ルカによると、この個所の男の子は一人っ子でした(ルカ9:38)。
質問
注:
かっこの中の質問は、前の質問に答えがないときにだけ読んでください。
- 息子が悪霊に取りつかれてから、この父親の毎日はどういうものだったか想像してください(17-18,20-22)。(両親の関係、近所との関係、神との関係。将来について、癒しについての思い)
- この男の子と、同年齢の子供たちの毎日を比べてください。
- 14-18節に描かれている状況のうち、父親が最も大変だったのは何だったでしょうか。息子にとってはどうですか。
- イエス様にとってがまんしがたい不信仰の人々とは誰のことでしょう(19)。
- この個所の場合にかぎって、イエス様はなぜ人々の不信仰を嘆かれたのですか。
- 「わたしどもを憐れんでお助けください」と父親が叫びましたが、その中に自分も含めたのはなぜですか。
- 23節で、イエス様は父親にゆるがない信仰を要求しておられるようですが、なぜですか。
- 皆さんが落ち込んだ時、完全な信仰が要求されることをどう感じるでしょう。
- 「信じます。信仰のない私をお助けください」と叫んだ時、彼は何を信じましたか、また何を疑いましたか(24)。
- 皆さんが愛する人のためにイエス様の助けを叫び求める時、何を信じ、何を疑いますか。
- 父親が24節の言葉を叫んだ時点で、救われるほどの信仰がすでにあったかどうかについて話し合ってください。
- 彼が本当の意味でイエス様を信じたのはいつですか。いろんな時を考えてください。
- 父親も息子も、揺るがない信仰をもっていなかったのに、イエス様はなぜこの二人をお助けになったのですか。
- 誰の信仰がこの奇跡を起こしたのですか。
- イエス様が皆さんの愛する人を苦しみの中から助けて下さるには、どれだけの信仰が必要ですか。
- 地面に横たわった息子を見た時、父親は彼が死んだと思ったかもしれません(26)。イエス様はなぜ助ける前に父親にそんな絶望的な経験をさせられたのでしょう。(すぐ助けられた場合、父親が学ばないままになったことは何ですか)
- ときには私たちも、イエス様から助けを受ける前に絶望的な状況に置かれるのはなぜですか。(今まで、皆さんはイエス様に助けを求めてすぐ助けられたら、なにを学ばなかったと思いますか)
- 「イエスが手を取って起こされると、立ち上がった」この文の中に、皆さんが心配しているその人の名前を入れてください。そうするとこの27節は皆さんにとってどういう意味になりますか。
よき知らせ
イエス様は悪霊と悪人に苦しめられたときにも、父なる神の愛と力を、揺るがない信仰をもって信じられました。イエス様のこの完全な信仰のゆえに、疑いを捨てられないにもかかわらず私たちは、自分や愛するものを神に助けていただけるのです。