「よき知らせの学び」とは?
伝道の方法
「よき知らせの学び」は、伝道のひとつの方法です。これを通してノンクリスチャンの友達や家族にイエス様を紹介することができます。教会の歴史をみると、新しい人を得るには小さな集まりが一番効果的だという事実があります。
一般信徒が自分でできる集会
一般信徒が1時間の伝道集会のプログラムを作ろうとすると、準備のたいへんさにパニックに陥ります。しかしこの学びの下準備は少なくてすみますので、容易にできます。この伝道方法のグループをたくさん作れば、一般信徒の賜物が用いられるようになります。
発見による学び
「よき知らせの学び」では、参加者は自分で答えなければならないので、多くの発見をします。発見によって得られた知識は自分自身のものになります。聞いたメッセージは忘れることがあっても、自分のした発見は忘れられません。
イエス様との出会い
イエス様は人間になられたみことばですから、みことばの中でないとイエス様に出会うことはできません。この学びの第一に目的は、キリスト教の知識を増やすことだけではなく、生きておられるイエスというお方と出会わせることです。イエス様は参加者に直接語りかけ、慰め、助けてくださいます。ですから「よき知らせの学び」のテーマはマタイ18:20の「ふたりでも3人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」なのです。
ノンクリスチャンも参加できるキリスト者の交わり
みことばについて話すと、特別な心の交わりが生まれてきます。心が開かれ、自分の問題が言葉になると、それをイエス様の前に降ろすことができます。聖書ぬきの交わりでは、決してこの結果は得られることはありません。こういう交わりは魅力的ですから、新しい人を引き寄せます。
新しい聖書の読み方
「よき知らせの学び」に参加すると、自分の個人的な聖書の読み方にも影響を与えます。イエス様が聖書を通して自分に個人的に語りかけてくださると一度分かると、それからは聖書をそういう気持ちで読むようになります。その経験がないと、クリスチャンはイエス様との出会いを、予言とか異言など異常な体験から求めようとします。
他の聖書研究との違い
ふつう、聖研の手引きというものは、ノンクリスチャンのために作られていません。参加者にはある程度の知識があることを前提としています。「よき知らせの学び」の質問は、新しい人のことを考えながら作られたものです。質問を通して、参加者がその個所をよく見ることと自分の人生と重ね合わせてみるようになることが目的です。「正しい答え」にこだわらないから、どんな返事でも歓迎します。
動機づけから始めましょう
A. 教職者の動機づけ
教職者は、一般信徒が「よき知らせの学び」の司会を立派に努めることを信じなければなりません。人は失敗しながら学び、成長していくものです。子育てのときと同じで、親が全部やってしまうと事は早く済みますが、それでは子供自身が何もできないままになってしまいます。
パウロの例から学ぶことができます。彼は教会を建てたあと数か月で、「神とその恵みの言葉とに」教会をゆだねました(使徒20:32)。現在は、信徒自身に集会を任せるようになるまでに長い時間がかかるというのは、どうしてなのでしょう。
教会の歴史を見ると、リバイバルの要素はいつも、信徒に任せられた小さな集まりでした。
聖霊様に信頼してください。「よき知らせの学び」を生かしてくださるのは、あなたでもなく司会者でもなく、聖霊様です。
B. 一般信徒への勧め方
教職者は、みことばの集会をする家庭には必ず神からの祝福があることを、しっかりと伝えてください。
教会で初めての「よき知らせの学び」の家庭には、立派な家は避けてください。ほかにも提供する人が出てくるためには、狭くて、ぴかぴかにしていない家で始めることです。
「よき知らせの学び」は、次の3点で教会の助けとなります。
- 新しい人の入り口になります。
- 古いクリスチャンの信仰を育てます。
- 新しいリーダーを見出すことができます。
C. リーダーの選び方
ほかの奉仕で忙しくしている人を避けてください。それよりも、この学びで最近クリスチャンになった人、学びで励まされた人を選んでください。
しゃべりたいタイプの人は、自分で結論を言ってしまう危険性があるので、リーダーには向きません。
D. 論議ではなく体験から始めてください
「よき知らせの学び」のよさは、体験しなければわかりません。経験ある司会者を教会へ招いて、学びの会を開いてください。「よき知らせの学び」を開きたい方は、最後のページに書いてあるところへご連絡ください。
なるべくたくさんの人に「よき知らせの学び」を経験してもらうために、教会のいろんな集会で、キャンプでも青年会でも、機会あるごとに学びの会を開いてください。
グループを作ったとき
古いグループを「よき知らせの学び」の会に変えることはできますか。
それは不可能ではありませんが、たいへんに難しいことです。
グループが古いほど、またメンバーの年齢が高いほど、集会を伝道のためのグループに変えるのは難しくなります。それよりも、希望者で、新しいグループをどんどん作ってください。
学びを始めるいい機会
伝道集会のあとです。しかし、礼拝にもノンクリスチャンは来ますから、そのつど、学びへの参加を勧めてください。
グループの人数
4~8人。2人のクリスチャンがひとりずつ友達を連れてくれば、「よき知らせの学び」は、始められます。学びがおもしろいと思ったら、ノンクリスチャンの人も友達を連れてくるようになります。
参加者が8人を超えたら、グループを分けてください。
そのようにすると両方のグループは成長を続けますが、それをしなかったら、部屋がいっぱいになったところで新しい人は来なくなります。
時間と期間
この学びは1時間、長くても1時間15分で終わってください。それより長引くと、参加者は疲れてしまい、来なくなる人もいます。勉強が終わってからお茶の時間にします。
一週間に一回~一月に一回、何度でもかまいません。伝道集会のあとで、何回するかを決めて始めるという方法もあります。
用意するもの
家提供者はリーダーにならないこと。
リーダーリーダーになるのは、訓練を受けた人が望ましい。訓練会に参加するのが無理であれば、訓練用のカセットを必ず聞いてください。
誘い方
ノンクリスチャンを誘う賜物を持っているクリスチャンはどこの教会にもいます。そんな人と協力してください。誘う賜物を持っていないクリスチャンにも、周囲には必ず悲しんでいる人がいます。聖書そのものにたいして興味を持っている人も日本人の中にたくさんいます。そんな人々に声をかけるように促します。
参加者
クリスチャンとノンクリスチャンが半々であるのが理想ですが、そうでなくても学びは可能です。この学びができるのは、小学校高学年から高齢者までです。ひとつだけ例外としては、絶えずしゃべるタイプの人です。そのような人は、ほかの種類の集会に誘ってください。聖書参加者は、それぞれがそのときの聖書の個所を持っていること。求道者は聖書を持ってないかもしれませんから、聖書またはコピーを準備してください。ノンクリスチャンにとって一番わかりやすい訳のものを使ってください。
質問集
「よき知らせの学び」は、質問形式です。4つの福音書別に質問集があります。新しいグループでは、本の順番どおりにしないで、易しいものから始めてください。それは各質問集の前書きでリストアップしてあります。
クリスマスとイースターの個所は、その時期にしてください。質問はノンクリスチャンにも分かるように作ってありますから、易しすぎるものも難しすぎるものもありません。たとえば「ザアカイはどこに上りましたか」あるいは「取税人は当時の社会でそんな役割をしていましたか」など。
もてなし
早く帰りたい人が帰れるように、お茶などのもてなしの前に「これで終わります」とはっきり言ってください。豪勢なもてなしは絶対にしてはいけません。手作りなどはクリスマスのときだけに限ること。ほかの人が家庭集会を開けなくなるからです。
さあ始めましょう
ルールを納得してもらいます。
- 司会者は質問に答えないこと
- 「違う」ということを言わないこと
- 司会者は脱線を戻すこと。
参加者に聖書の個所を読んでもらいます。
次に短くお祈りして、背景についての説明があればそれを読みます。朗読のときは集中しないことがよくあるので、さらにもう一度、その個所を黙読してもらいます。
☆または*か○ひとつが、一つの質問です。
質問はひとつずつ読んでください。( )の中は、返事がないときだけ読んでください。
原則的に、指名してはいけません。
ただ、中・高生がいれば、指名してもかまいません。また、話したそうな人も指名してください。
ノートを取りません。
「よき知らせの学び」のときはノートを取りません。また聖書の他の個所を見たりもしません。福音書の一箇所についてじっくり一時間、学びます。
質問をコピーなどで全員に配ってから話し合うやり方をする人もありますが、著者は、それはしない方がいいと考えています。コピーは終わってから配ってください。
進める速さ
進める速さはグループのよって異なりますが、たくさん話すグループにとって手引き書どおりでは質問が多すぎます。司会者は時計を見ながら質問をはぶいてください。ただし、最後の質問だけははぶいてはいけません。
司会者は正直に、自分の弱さを認めて
司会者が正直で、自分の弱さを認めれば、雰囲気は開放的になります。
最後に
最後に、みんなの発見を聞いてください。「今日、発見したこと、または感想をひとことずつ言ってください」と勧めます。それまで発言しなかった人も意見を言う機会になります。司会者はこのとき、自分の発見をまとめてください。
この話し合いの中で出た個人的な問題のために祈ります。これは祈祷会ではありませんので、司会者がまとめて祈ってください。
イエス様の愛に触れられた人がひとりでもいれば、集会は成功だといえます。
問題への対処
沈黙してしまう
質問の一番目から三番目ぐらいまではよくあることです。参加者は、自分の考えはあるのですが、恥ずかしいなどの理由で自分から言わないのです。沈黙を一番長く感じているのは司会者です。参加者は頭の中で考えているので、長くは感じません。これは積極的沈黙で、神様がそのあいだに語ってくださいます。
- 沈黙が長引けば、同じ質問を繰り返す。
- 言葉を変えて、質問を繰り返す。
- 答えが出ないまま、先に進む。そうしないと、参加者は司会者が毎回答えを出すものと期待してしまうからです。
参加者からの問いに対する答えがわからない
- ほかの参加者に聞く。
- 次のときまでに調べることを約束する。
- 「わかりません」とありのままを言って、先に進めてもいい。
参加者の答えが明らかに間違っている
間違っていると言われると、その人は自尊心を傷つけられますから、次に来なくなる危険性があります。
- ほかの人の意見を聞く。
- 「この個所のどこから、そう考えたのですか」と尋ねる。それがどこにも書かれていないことに気づくと、本人も納得する。
脱線してしまう
どうしても脱線したい人はいます。でも、それでは「よき知らせの学び」が成り立ちませんから、止めなければいけません。始める前に、「予定の時間がありますから、脱線しそうになったら元に戻します」と断ってください。
体験談の場合、個所と関連するものであれば終わりまで聞きますが、そうでなければ「そのお話は、お茶を飲みながら聞かせていただきましょう。今は先にこの個所を済ませてしまいましょう」と言う。
発言がいつも長引く(説教のようになる)人がいる
- 「たくさんの人に意見を言ってもらうために、自分ひとりの発言時間に気をつけてください」と最初に断っておく。
- 人が息を継ぐひまに、次の質問をする。
いつも同じ人がすぐに発言する
ほかの人に考える時間を与えるため、次のようにしてください。
- 「口に出す前に、心の中で答えてください」と言う。
- 司会者はその人の方を見ない。
- とにかく、次の人の発言を待つ。
- ふたりだけのときに、個人的に協力をお願いする。
参加者同士でけんかになる
けんかになることは少ないですが、万一そうなったら、次のように対処してください。
- 司会者がそれぞれの意見を要約する。
- テキストに戻るようにと促す。
- 意見が違うことを認めて、先へ進む。
- とても大切な教理に関したことであれば、次のときに先生に来ていただくか、あるいはそのテーマについてのメッセージのテープを聞く。
途中でだれかがこのやり方に文句を言い始める
はっきりした正解がない事にがまんできない人がいますから、最初のころはこのような問題が起きるかもしれません。
- 「とにかく最後までいて、みなの意見を聞いてください。終わりになると、やり方のよさがわかるかもしれません」と言う。
- それでもだめな人は、メッセージのある家庭集会に導いた方がいいでしょう。
黙っている人がいる
本人が発言したいかどうかを考える。話したくても引っ込み思案で言えない人は、司会者を見ますから、ときどき指名してください。答えたくない人は司会者を見ませんから、指名してはいけません。
だれかがつまずいた
みことばそのものにつまずいたとき、それは司会者の責任ではなく、神様の責任です。
- 聖書そのものにつまずいたとき、司会者は自分勝手な解釈で聖書の厳しさを隠そうとしてはいけません。厳しさの点では、イエス様ご自身も多くの人(たとえば富める青年やパリサイ人)につまずきを与えられました。
- 無関心であるより、むしろつまずく方がいいかもしれないことを心にとめておく。
- キリスト教会の本当の欠点につまずいたとき、司会者はそれを認めて謝る。
精神的な病気のためにしゃべってばかりの人が参加する
精神的な病気がいろいろありますが、聞くことができなくて、いつもしゃべってばっかりの人がグループの中にいると学びの会は長続きしません。違う種類の集会に導いた方が本人にも他の参加者にもいいでしょう。