背景
宮にのぼったパリサイ人と取税人のたとえは、
義認についてのイエス様の根本的な教えです。この教義は、どうすれば神の前に義人と認められて天国に入れるかという疑問に答えています。イエス様の時代には
パリサイ人という言葉は、独善的な偽善者ではなく、真に神を信じ畏れる人を連想させたことに、注意してください。またパリサイ人は貧しい人の味方でしたが、
取税人は売国奴で、人々から搾取していました。
質問
注:
かっこの中の質問は、前の質問に答えがないときにだけ読んでください。
- このふたりともが神を信じていたことは、どうして分かりますか。
- ユダヤ人にとって宮は、唯一の贖いの場所であり、神に会う場所でした。このパリサイ人は何をしに宮へ行ったのかについて、話し合ってください。
- この取税人は何をしに宮へ行きましたか。
- パリサイ人はどういうことで感謝しましたか。彼の祈りを見てください。
- パリサイ人が、神が自分のためにしてくださったことについて、祈りの中に一言も言わなかったのはなぜですか。
- パリサイ人の、義についての考え方はどういうものですか。(どうすれば義人になると考えていたのでしょう。)
- あなたが、たとえの取税人のように祈ったことがあれば、それはどんなときでしたか。(心の中で答えてもかまいません。)
- 取税人の祈りは、ギリシャ語ではつぎの意味も含んでいます。「神様、この神殿で捧げられている生贄のために、私をあわれんでください」。取税人の、義についての教義はどんなものですか。
- たとえのパリサイ人に私たちが似ているところはどこですか。
- パリサイ人の神と隣人に対する罪は何ですか。
- パリサイ人が自分の罪のひとつにも気づかなかったのはなぜですか。
- パリサイ人の信仰は、取税人のよりもはるかに強いものでした。ニセの信仰がしばしば本当の信仰より強いというのは、どうしてでしょう。
- 彼らが宮を離れたとき、どちらが義とされたかを誰が知っていましたか。(箇所だけで考えてください)
- 「それから、取税人は自分がだまし取った人にお金を返し、正しい人になりました」こういう結末でイエス様はたとえを終わらせておられません。なぜですか。
- おそらく、取税人は多くの人の人生を壊したでしょう。その罪に対して神様が下されるはずの罰はどうなりましたか。
- 「義認」ということで、義とみなされる人は何をするのですか。
- 義認では、神様は何をされますか。
- 義認で、生贄の役割は何ですか。
よき知らせ
宮に捧げられる生贄はイエス様の死のひな型です。取税人は、実にイエス様の犠牲を基にした赦しを願いました。彼の罪はイエス様のものとみなされ、イエス様の義が彼のものとみなされたのです。