質問
注:
かっこの中の質問は、前の質問に答えがないときにだけ読んでください。
- 人が23節の質問をするのは、なぜだと思いますか。
- どうしてイエス様はこの質問に、「はい」とか「いいえ」だけでお答えにならなかったのでしょう。
- 天国への門が狭いとは、どういう意味ですか。
- 特にどんな人に対して、神の国の門が狭いのでしょう。
- 狭い門から入るために、人はどんな努力をしますか(24)。
- これに関連して、イエス様は神の国の晩餐を小さなたとえでお話しになっています(25-27)。このたとえを通して、イエス様は聞いている人たちに何を言おうとしておられますか。
- このたとえの人はなぜ、まだ時間がある間に狭い門を通らなかったのでしょう。
- いっしょに食べたり飲んだりした人をイエス様が知らないというのは、どういう意味ですか。
- 最後の日、イエス様が自分を知っておられることを、今どうすれば確信できますか。
- 28節に挙げられているイスラエルの先祖たちはみんな、弱さも罪も持っていました。どのようにして、彼らは神の国の狭い門を入ったのですか。(イスラエルの先祖たちについて、聖書を見ないで、覚えている範囲だけで話し合ってください)
- 神の国の晩餐に来る、ほかの人とはだれのことですか(29)。
- (司会者はヨハネ10:9を読んでください)この2か所の、天国への人口についてのイエス様の教えはどう違いますか。
- なぜ、ひとつの門は狭く、もうひとつの門はだれでも通れるのですか。
よき知らせ
罪人が律法の門を通って救われるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい(マタイ19:24)。イエス様だけが律法の門を入ることができました。しかし、福音の門はすべての人に向かって開けられています。というのは、その門のところでは罪が赦されるからです。