背景
何百年も前、モーセとエリヤは神を見たいと思いましたが、できませんでした。なぜなら、旧約聖書によると、罪人が聖なる神と顔を合わせると死んでしまうからです。このふたりの死に方については、申命記34:1-6と列王記下2:11を見てください。変貌の山は、
ヘルモン山(2760m)と考えられています。地図を見てください。
質問
- 1節 3人の弟子たちは、イエス様が4人だけで山に登ることを言われた時、どう思ったでしょう。
- 当時の装備で、高い山に登るときのことを想像してください。
- 2節 皆さんは神様を見たいを思ったことがありますか。あるなら、どんなときでしたか。
- イエス様の顔と服が変わるというのは、どんなことを表しますか。
- 神様は御子が神である姿を、一回でも人間に見せたいと思われたのはなぜでしょう。
- 聖なる神の顔を見たのに、どうして弟子たちは死ななかったのでしょう。
- 3節 旧約聖書の代表者も、このとき現れたのはどうしてだと思いますか。
- どうしてこのとき、モーセとエリヤでなければならなかったと思いますか。
- 自分が預言していたメシヤを目の前にしたとき、ふたりはどんな気持ちだったでしょう。
- 4節 弟子たちがそんなにいい気持ちだった理由は何ですか。
- 皆さんが、日常生活に戻りたくないというほどすばらしい霊的な経験をしたなら、話してください。
- ペトロは、この高い山の上でどう暮らしていくつもりだったのでしょう。
- 5節 この個所の雲の意味は何ですか。
- どうして神様は「これに従え」ではなく「これに聞け」と言われたのですか。
- 神様が、シナイ山で御言葉を石の板に刻んで与えられたのと、このときのことを比べてください。どう違いますか。
- 6節 ペトロはついさっき、いい気持ちだったのに、急に何を恐れたのですか。
- 聖なる神のそばにいると、気持ちいいか、悪いか、皆さんはどちらだと思いますか。
- どちらが近づき易いですか。大工の服を着たイエス様と、白い義の服を着たイエス様と。理由も言ってください。
- 7-9節 イエス様が弟子たちに手を触れたという行為の意味は何ですか。
- モーセとエリヤが見えなくなったことを、弟子たちはどう思ったでしょう。
- イエス様があとの9人の弟子を含めて、だれにもこの出来事を知られたくなかったのは、なぜでしょうか。
よき知らせ
イエス様は、変貌の山からもうひとつの山、ゴルゴタへ歩み出されました。白い義の衣を私たちに与えるために、イエス様は十字架の上で、私たちの罪から来る裸の恥をさらしてくださいました。