ルツ 3:14 ルツは、夜が明けるまでボアズの足もとで休んだ。ルツはまだ人の見分けのつかない暗いうちに起きた。麦打ち場に彼女の来たことが人に知られてはならない、とボアズが考えたからである。
3:15 ボアズは言った。「羽織ってきた肩掛けを出して、しっかりつかんでいなさい。」ルツがしっかりとつかんだ肩掛けの中に大麦を六杯量ってルツに背負わせると、ボアズは町へ戻って行った。
3:16 ルツがしゅうとめのところへ帰ると、ナオミは、「娘よ、どうでしたか」と尋ねた。ルツはボアズがしてくれたことをもれなく伝えてから、
3:17 「この六杯の大麦は、あなたのしゅうとめのところへ手ぶらで帰すわけにはいかないとおっしゃって、あの方がくださったのです」と言うと、
3:18 ナオミは言った。「わたしの娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう。」
4:1 ボアズが町の門のところへ上って行って座ると、折よく、ボアズが話していた当の親戚の人が通り過ぎようとした。「引き返してここにお座りください」と言うと、その人は引き返してきて座った。
4:2 ボアズは町の長老のうちから十人を選び、ここに座ってくださいと頼んだので、彼らも座った。
4:3 ボアズはその親戚の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミが、わたしたちの一族エリメレクの所有する畑地を手放そうとしています。
4:4 それでわたしの考えをお耳に入れたいと思ったのです。もしあなたに責任を果たすおつもりがあるのでしたら、この裁きの座にいる人々と民の長老たちの前で買い取ってください。もし責任を果たせないのでしたら、わたしにそう言ってください。それならわたしが考えます。責任を負っている人はあなたのほかになく、わたしはその次の者ですから。」「それではわたしがその責任を果たしましょう」と彼が言うと、
4:5 ボアズは続けた。「あなたがナオミの手から畑地を買い取るときには、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです。」
4:6 すると親戚の人は言った。「そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。それではわたしの嗣業を損なうことになります。親族としてわたしが果たすべき責任をあなたが果たしてくださいませんか。そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。」
詩篇 94:1 主よ、報復の神として 報復の神として顕現し
94:2 全地の裁き手として立ち上がり 誇る者を罰してください。
94:3 主よ、逆らう者はいつまで 逆らう者はいつまで、勝ち誇るのでしょうか。
94:4 彼らは驕った言葉を吐き続け 悪を行う者は皆、傲慢に語ります。
94:5 主よ、彼らはあなたの民を砕き あなたの嗣業を苦しめています。
94:6 やもめや寄留の民を殺し みなしごを虐殺します。
94:7 そして、彼らは言います 「主は見ていない。ヤコブの神は気づくことがない」と。
94:8 民の愚かな者よ、気づくがよい。無知な者よ、いつになったら目覚めるのか。
94:9 耳を植えた方に聞こえないとでもいうのか。目を造った方に見えないとでもいうのか。
94:10 人間に知識を与え、国々を諭す方に 論じることができないとでもいうのか。
94:11 主は知っておられる、人間の計らいを それがいかに空しいかを。
94:12 いかに幸いなことでしょう 主よ、あなたに諭され あなたの律法を教えていただく人は。
94:13 その人は苦難の襲うときにも静かに待ちます。神に逆らう者には、滅びの穴が掘られています。
94:14 主は御自分の民を決しておろそかになさらず 御自分の嗣業を見捨てることはなさいません。
94:15 正しい裁きは再び確立し 心のまっすぐな人は皆、それに従うでしょう。
94:16 災いをもたらす者に対して わたしのために立ち向かい 悪を行う者に対して わたしに代わって立つ人があるでしょうか。
94:17 主がわたしの助けとなってくださらなければ わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。
94:18 「足がよろめく」とわたしが言ったとき 主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。
94:19 わたしの胸が思い煩いに占められたとき あなたの慰めが わたしの魂の楽しみとなりました。
94:20 破滅をもたらすのみの王座 掟を悪用して労苦を作り出すような者が あなたの味方となりえましょうか。
94:21 彼らは一団となって神に従う人の命をねらい 神に逆らって潔白な人の血を流そうとします。
94:22 主は必ずわたしのために砦の塔となり わたしの神は避けどころとなり 岩となってくださいます。
94:23 彼らの悪に報い 苦難をもたらす彼らを滅ぼし尽くしてください。わたしたちの神、主よ 彼らを滅ぼし尽くしてください。
1テモテ 5:9 やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、
5:10 善い行いで評判の良い人でなければなりません。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません。
5:11 年若いやもめは登録してはなりません。というのは、彼女たちは、情欲にかられてキリストから離れると、結婚したがるようになり、
5:12 前にした約束を破ったという非難を受けることになるからです。
5:13 その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更に、ただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします。
5:14 だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。
5:15 既に道を踏み外し、サタンについて行ったやもめもいるからです。
5:16 信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。
身寄りのないやもめなど、この世には多くの社会的な弱者がいる。
そうした方々を、社会全体がサポートしていくことは大切なことである。
一方で、そういった仕組みを悪用し、自力で十分生きていけるのに、支援だけは受けておこうとする者もいるだろう。
貧しい者や弱者を演じることで、支援されることを当然のように考える人もいるかもしれない。
しかし、皮肉なことに、社会はそうした人たちの生き様をよく見ているし、偽りの人生を送っていくことで、どこかしら、矛盾も生じてくるものであろう。
普段はそうそう支援される側の経験をしたことのない人も、これからの時代は、何が起きるか分からないし、どうなっていくかわからないから、いつ支援される側に立たされることになるかもしれない。
そうなった時、支援される側にも、人間性や尊厳が問われる。
支援されて当然みたいな態度では、支援する側も空しい気分になるだろう。
簡単なことではあるが「ありがとう」と感謝の言葉を表すだけでも印象は全く違う。
ちなみに「ありがとう」は「有り難き」からなる言葉で、あり、本来ならあり得ないことで、「当たり前」の反対語である。
有って当たり前ではない、本来ならあり得ないこと。
神の恵みも同じである。
本来なら滅んでいてもおかしくないような者のために、神は一人子イエス様の命を惜しまず捧げ、愚かな罪人を救おうとされたのである。
この恵みを「受ける」ものとして、「有難い」支援を受ける者として「ありがとう」の心を忘れずに、言葉のみならず、行いを通しても感謝の心を表しながら過ごしていきたいものである。
コロサイ3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。