やさしい聖書 これはなに?

―ルターの小教理問答―

マルティン・ルター著

ポケット版 2016年 Translated and edited by 西日本福音ルーテル教会

聖書は日本聖書協会の許諾を得て『新共同訳』から引用。「使徒信条」と「主の祈り」は西日本福音ルーテル教会旧式文から引用。

1517年10月31日、今から五百年前にマルティン・ルターは九十五箇条の提題によって宗教改革を始めました。ルターにとって聖書のみがメッセージの土台でした。私たちはイエス・キリストを信じる信仰のみを通して、神の恵みのみによって救われるのです。ルターの説教、書物、そして教えによって、この宗教改革のメッセージが広く世界に伝えられました。ルターは1529年に小教理問答を書きました。これにはやさしいことばが使われていたので、多くの人が教会や家や学校で学んで暗唱しました。
大切で愛されてきたこの小教理問答をもう一度日本語に翻訳するにあたって、私たちはわかりやすい言葉を用いることにしました。また、すべての人が暗唱できるように、七五調という日本でなじみのあるリズムに整え、漢字にはルビをふりました(注:出版物のみ)。この小教理問答が教会や家庭をはじめ、あらゆるところで豊かに用いられて、私たちがイエス・キリストの福音を信じ、神に仕え隣人を愛してキリストと共に歩むようになることが、私たちの祈りです。

十 戒

一家の主人は このことを やさしく家族に 教えなさい。

第一戒 わたしはあなたの神、主です。 わたしのほかに 何ものも神としてはなりません。

これはなに?

どんなものより まず神を おそれ愛し 頼りなさい。

第二戒 あなたの神、主のお名前を むやみに使ってはなりません。

これはなに?

神をおそれ 愛しなさい。 それで 神のお名前で のろいや誓いや 魔術、うそ、人をだます ことをせず、むしろいつでも 困ったら 神の御名を 呼び求め 祈り賛美し 感謝せよ。

第三戒 安息日を心に留めて これを 聖く保ちなさい。

これはなに?

神をおそれ 愛しなさい。 それで あなたは説教と 神の御言葉を軽く見ず、むしろ 聖いものとして 喜んで聞き 学びなさい。

第四戒 敬え、あなたの父母を。

これはなに?

神をおそれ 愛しなさい。 それで 父母、他の権威、軽く見ず また怒らせず、敬い仕え 従って 愛して大切に しなさい。

第五戒 あなたは殺しては ならない。

これはなに?

神をおそれ 愛しなさい。 それで 隣人の体を 傷つけ苦しめる のでなく、むしろ 体の必要に すべてこたえて 助けなさい。

第六戒 姦淫してはなりません。

これはなに?

神をおそれ 愛しなさい。 それで 言葉も行いも きよく正しく 保ちなさい。 そして夫婦は お互いに 愛し尊敬 し合いなさい。

第七戒 あなたは盗んでは ならない。

これはなに?

神をおそれ 愛しなさい。 それで 隣人の 持っている お金や財産、盗んだり、 不正にだまして 奪わずに、 むしろ持ち物、収入が 増え、守られるように 助けなさい。

第八戒 あなたは隣人に対して 偽証 しては なりません。

これはなに?

神をおそれ 愛しなさい。 それでだまさず 裏切らず、 悪口、悪い うわさせず、人の評判 傷つけず、 むしろ弁護し ほめてあげ、 彼のすべてが 最善に 向かうように すべきです。

第九戒 あなたは隣人の 家を ほしがって は なりません。

これはなに?

神を おそれ 愛しなさい。 それで隣人の 遺産、家、悪だくみをして 奪ったり、正しい人を 装って だまし取ったり することなく、むしろ なくならないように 助けて 力になりなさい。

第十戒 隣人の妻、しもべたち、牛、ろば、すべて 彼のもの、ほしがっては なりません。

これはなに?

神を おそれ 愛しなさい。 それで 人の妻、しもべ、あるいは彼の 家畜など、そそのかしたり、離したり また背かせたり することなく、むしろ 彼らがとどまって つとめをしっかり 果たすよう つよく励まし 勧めなさい。

これらの戒めについて 神は何と言われるか。

主の言葉: 主であり、あなたの神であるわたしはねたむ神である。わたしを憎む者たちに 父の罪を子に報い 三、四代にいたらせる。 しかし わたしを愛する者、戒めを守る者たちに豊かに祝福を与え 幾千代にいたらせる。 [出エジプト記20:5-6]

これはなに?

神は、戒め破る者、みんな裁く、と 迫ります。だから 神の怒りをおそれ 背かぬように すべきです。 しかし 戒め守るなら 恵みとすべての 祝福を 神は約束 なさいます。 だから 神を愛し頼って 神の戒め、喜んで 守るように すべきです。

使徒信条

一家の主人は このことを やさしく家族に 教えなさい。

第一条 創造について

私は、天地の造り主、 何でもおできになるお方、 父なる神を信じます。

これはなに?

神が私を すべてのものと 共につくったと信じます。 体や魂、目と耳、手足、 理性やすべての感覚を、 神が私に 与えてくださり 今も保つと信じます。 さらに 服、靴、食べ物、飲み物、 家や、庭や、妻、子ども、 土地や、家畜や、全財産を、 私の体と生活に 要るものすべてと栄養と共に、 神は豊かに毎日くださり、 全ての危険をさえぎって あらゆる悪から私を守り 保護してくれると信じます。 そして これらはまったく私の てがらや値打ちのゆえでなく、 純粋に 父なる神の いつくしみと憐れみゆえです。これらすべてのことのため、 私は神に感謝して、 賛美し、仕え、従うだけです。 これこそ確かに真実です。

第二条 救いについて

私は、そのひとり子である 私たちの主なる方、 イエス・キリストを信じます。 主は、聖霊に より宿り、 おとめ マリヤ から生まれ、 ポンテオ・ピラトに 苦しめられ、 十字架の上に つけられて、 死んで 葬 られました。 よみに 下られ、三日目に 死人の中からよみがえり、 天にのぼって行きました。 そして 何でもおできになる 父なる神の 右に座し、 生きて いる人、死んだ人 さばきにそこから来られます。

これはなに?

永遠の中で 御父から 生まれたまことの神であり、 同時に おとめ マリヤから 生まれたまことの人である、 イエス・ キリストが私の 主であることを信じます。 主イエスは、失われて、罪に 定め られていた私を、 すべての罪から、 また死から、 そして 悪魔の力から、 金や 銀に よらないで きよい 尊い血によって 無実の 受難と死によって、 あがない 手に入れ 勝ち取って くださったことを信じます。それは 私が主のものとなり、 永遠に 義しく、罪がなく、 祝福を受ける者として、 主の御国にて みもとに生きて 主にお仕えするためなのです。ちょうど主が死からよみがえり 永遠に生き 支配する、 それと 同じ ようにです。 これこそ確かに真実です。

第三条 聖化について

私は、聖霊を 信じます。 また聖なるキリスト教会・すなわち聖徒の交わりと、罪の 赦される ことと、体のよみがえる ことと、永遠の 命を 信じます。アーメン。

これはなに?

自分の理性や力では、 私の主イエス・ キリストを 信じることができないし、 また主のみもとに来ることも できないことを信じます。 でも聖霊が、福音により 私を召してくださった。その賜物で私を照らして、 正しい信仰の 内に きよめ 支えてくださった。それは ちょうど 聖霊が、 地の全キリスト教会を 召して、集めて、照らして、きよめ、 そしてイエス・ キリストにある ひとつの正しい信仰の内に 支えてくださるようにです。そんな キリスト教会で、 私と すべての信徒らの すべての罪を、聖霊は 毎日豊かに赦します。終わりの日には 聖霊が、 私と すべての死者たちを、 よみがえらせてくださいます。私と キリスト信じる皆に 永遠の命をくださいます。 これこそ確かに真実です。

主の祈り

一家の主人は このことを やさしく家族に 教えなさい。

よびかけ 天にまします われらの父よ、

これはなに?

神が まことの父であり 自分が まことの子どもだと、 私たちが信じるように 神は やさしく誘います。愛されている子どもたちが 愛する父に話すように 大胆にまた 確信持って 私たちが求めるためです。

第一の願い 願わくは み名を あがめさせたまえ。

これはなに?

神の 御名は それ自体 もともと聖い ものですが、 私 たちの 間でも 聖い もので あるように、 この 祈りで願います。

これはいかにして実現しますか?

それは 神の 御言葉が 正しく純粋に 教えられ、 そのあと 私 たちもまた 神の子として 聖なるいのちを 生きるところに 実現します。愛する 天の 父なる神よ、 私たちを助けてください!しかし 神の 御言葉と 違う 教えや生活は 神の 御名を けがします。愛する 天の 父なる神よ、 私たちを守ってください!

第二の願い み国を来たらせたまえ。

これはなに?

神の御国は それ自体 祈らなくても来るものですが、 私 たちの ところにも 神の御国が 来るように この 祈りで願います。

これはいかにして実現しますか?

天の御父が 聖霊を 私たちにくださるときに、 神の恵みで 私 たちは 聖なる御言葉を信じて 敬虔に生きる ことができ、 この地においては 時の中、 かの地においては 永遠に、 神の御国が 実現します。

第三の願い みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

これはなに?

良い恵み深いみこころは 祈らなくても 実現しますが、 私 たちの 間でも 神のみこころが 実現するよう、 この 祈りで願います。

これはいかにして実現しますか?

私たちに御名、あがめさせず 御国を来させないよう にする 悪魔と世と自分の肉の 悪い たくらみと 意志を 神が 砕き 防ぐとき、 また私たちが最後まで 神の御言葉と信仰に 堅く立てるように、神が 強め守ってくれるとき、 神のみこころが実現します。これが 私たちの神の 恵み深く良いみこころです。

第四の願い われらの日用の糧を今日も与えたまえ。

これはなに?

神は 日ごとの食べ物を 私たちが願わなくても 悪い人にも 与えます。それでも神が導いて、 私たちが それを自覚し 日ごとの食べ物、感謝して 受け取る者となるように この 祈りで願います。

日用の糧とは何ですか。

それは 肉体の支えと 必要なもののすべてです。たとえば食べ物、飲み物や、 着物や靴、家、家庭、土地、 家畜やお金や財産や、 敬虔な夫、または妻、 敬虔な子らやしもべたち、 敬虔、誠実な支配者、すぐれた政府や、よい天候、 平和、健康、よいしつけ、 よい評判と親友と、 信頼できる隣人と、 またそのたぐいの ものなどです。

第五の願い われらに罪を犯す者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。

これはなに?

天の 御父が 私 たちの 罪を ご覧にならないように、その罪のため 私たちの 願いを拒まれないように、 この祈りで 願います。祈りが聞かれる 価値などは そもそも私たちにはなく、祈る資格も ありません。毎日罪を 犯すため 罰せられるほか ない者です。それなのに神は 恵みによって すべてを与えてくださいます。だから 私たちに対して 罪を犯す 人々を 私たちも おかえしに 心の底から 赦します。また喜んで 親切に 彼らによいことを します。

第六の願い われらを試みにあわせず、

これはなに?

確かに神は 誰ひとり 悪に誘惑 なさいません。それでも 悪魔と世と肉が 私たちを だましたり、 迷信、絶望、またほかの 大きな恥や 罪悪に 陥らせたり しないよう、 たとえ試練を 受けてもついに 勝って 勝利を保つよう、 守り支えて くださいと この祈りで 願います。

第七の願い 悪より救い出したまえ。

これはなに?

これらの祈りの まとめとして、 天の御父が 私たちを、 体と魂、持ち物、名誉に関する あらゆる種類の 悪から 救い出して くださるよう この祈りで 願います。そしてついに 私たちが 臨終のときを 迎えたら、祝福された 終わりを与えて 涙の谷から 恵みをもって 天におられる 御父のもとへ 取り上げて くださいと 祈るのです。

結びとアーメン 国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン

アーメンの 意味はなに?

私が確信 すべきこと、 それは このような願いが 天の御父に 受け入れられて 聞かれていると いうことです。なぜなら御父 ご自身が こう祈るよう 命じられ、 私たちの 祈りを聞くと 約束なさった からなのです。

「アーメン、アーメン」その意味は

はい、はい、確かにそのように なります、という 意味なのです。

洗礼の礼典

一家の主人は このことを やさしく家族に 教えなさい。

第一 洗礼とは 何ですか。

洗礼はただの水だけでなく、 神が 命じた 水であり、 そして 神の 御言葉に 結ばれている水なのです。

そんな御言葉は どれですか。

私たちの主 キリストが マタイの最後で言われます。全世界に 出て行って すべての民を 教えなさい。父、子、聖霊の御名により 彼らに 洗礼を 授けなさい。

第二 洗礼は 何を与えて 何の 役に 立ちますか。

神の御言葉と約束が 示す通りに 洗礼は、 信じるすべての人々に 罪の赦しをもたらして 死と悪魔とから自由にし 永遠の救いを与えます。

そんな 神の 御言葉と 神の約束は どれですか。

私たちの主 キリストが マルコの最後で言われます。信じて洗礼を授かる 人は誰でも 救われます。しかし 信じない 人は みんな罪に定められます。

第三 どうやって水に そのような 大きなことが できますか。

もちろん水が するのでなく、 むしろ 水に 結ばれて 共にある神の御言葉と、 またその水の内にある 神のそのような御言葉を 信じる信仰が するのです。御言葉なしには 水は水、 それは洗礼で ないからです。しかし 水が 御言葉と 共にあるなら 洗礼です。恵みあふれる いのちの水、 聖霊の 新生の 洗いです。テトスへの手紙三章で パウロが語る通りです。私 たちの 救い主 イエス・ キリストを通して 神は 豊かに 聖霊を 私 たちに 注がれた。その聖霊の 洗いによって 私たちが新たに生まれ 新たに造り かえられて キリストの 恵みによって 私 たちが 義とされて 希望通りに 永遠の 命を受け継ぐ ためなのです。これこそ確かに真実です。

第四 ではそんな水の 洗礼は 何を 意味しているのでしょう。

毎日罪を 悲しんで 悔い改める ことにより、 私 たちの 中にいる 古いアダムが、すべての罪や 悪い 欲と ともに 溺れ、 死ぬべきことを意味します。そしてとこしえに 神の 御前で 義しく 純粋な 人として 生きていく新しい人が 毎日 再び現れて よみがえることを意味します。

どこに 書いて ありますか。

パウロは ローマ 人達に その六章で 語ります。私たちは 洗礼を 受けて キリストと 共に 死の中へ 葬られました。それは 死者から キリストが 御父の御栄えに よって またよみがえらされたように 私たちもその新しい 命に歩む ためなのです。

ざんげ告白

キリスト者は次のように ざんげ告白を教わります。

ざんげ告白とは何ですか。

ざんげ告白はふたつの部分からなっています。
第一は、私たちの罪の告白です。
第二は、赦しの宣言です。
すなわち、神ご自身からの赦しとして牧師から赦しを受け、疑うことなく、むしろそれによって天の神のみ前で私たちの罪がゆるされていることをかたく信じます。

何の罪を私たちはざんげ告白すべきなのですか。

神のみ前では、私たちはすべての罪を認めます。「主の祈り」で私たちが祈るように自分で気付いていない罪も含めたすべての罪を認めるのです。しかし、ざんげ告白を聞く牧師の前では、私たちが知り、心の中で感じる罪のみを告白します。

短いざんげ告白の手順

十戒に従って、自分の生活の場をかえりみましょう。 あなたは父親でしょうか、母親でしょうか、息子、娘でしょうか、主人でしょうか、主婦でしょうか、あるいは誰かに仕えていますか。あなたは不従順、不真実、怠惰ではなかったですか。また、すぐ怒り、無礼で、けんか早くはなかったでしょうか。あなたは言葉や行いで誰かを傷つけたりしませんでしたか。盗んだり、怠けたり、何かを粗末にあつかったり、害を与えたりしませんでしたか。

どうか簡単な、ざんげの方法を、私に示してください。

(ルターは以下の手順を当時の人々の個人的なざんげ告白に用いる一例として紹介している。)

あなたは、ざんげ告白を聞く牧師に次のように言います。

「先生、お願いいたします。私のざんげ告白を聞き、神のみむねにそって私に赦しを宣言してください。」 「私はあわれな罪人です。私は神のみ前ですべての罪を告白いたします。そして、あなたの前では特に、私がしもべ、しもめなどとして、主人に対して忠実に仕えることをせず、命じられたこのこと、あのことをその通りに実行しないで、主人を怒らせ、私に悪い思いを抱かせることをしてしまったことを、私は悔い改めて告白します。私は怠けてしまい、主人に害が及ぶままにしてしまいました。言葉にも、行ないにも、攻撃的で、仲間と争ったり、家の女主人について不平を言ったり、うらんだりなどしました。これらすべてのことについて、私は悔い改めて、告白いたします。恵みをいただきたいと思います。私はよりよい人になりたいと願っています。」

主人あるいは女主人は次のように言いなさい。

「先生、あなたの前では特に、私が子どもたち、しもべ、妻を、神の栄光へと忠実に導くことができなかったことを、告白いたします。私は人をののしりました。ふさわしくない言葉や行いによって悪い見本になりました。隣人を傷つけ、彼らの悪口を言い、実際より高い値をつけ、質の悪いものを売りつけ、彼らの支払いに見合わない安いものを渡しました。」

(告白者に、神の戒めを破ったこと、自分の立場をわきまえないで行ったことを告白させるとよい。)

しかし、誰かがこのような罪や、さらに大きな罪の呵責に苦しんでいるのでなければ、その人は自分を苦しめたり、罪を探そうとしたり作り出したりしなくてよい。ざんげ告白は拷問ではない。むしろ、ひとつでもふたつでも、自分の知っている罪を告白して、「特に、私は人をののしりました。私は言うべきでない言葉を発しました。このこと、あのことを無視して行いませんでした。」などと告白し、それで十分としよう。しかし、もしあなたには何の罪の心当たりもないならば(そのようなことはあり得ないのであるが)、そのときは特別な告白をせず、神のみ前で告白するような一般的なざんげ告白を牧師の前でなし、それによって、罪の赦しを受けなさい。

そのときざんげ告白を聞く牧師は次のように言います。

「神があなたに対して恵み深くあって、あなたの信仰をお強めくださいますように。アーメン。」

牧師はさらに言いなさい。

「私の与える赦しが、神の赦しであるということを、あなたは信じていますか。」

あなたは答えていいなさい。

「はい、敬愛する先生。」

そのとき牧師はこう言いなさい。

「あなたの信じたようになりますように。そして、私は、私たちの主イエス・キリストの命令により、父と子と聖霊の御名によって、あなたの罪を赦します。アーメン。安心して行きなさい。」

良心の大きな重荷に苦しみ、悲しみ、嘆いている人の信仰を慰め強めるための聖書の御言葉を更に牧師は学ぶとよい。 以上はあくまでもざんげ告白の一般的な形態の一例に過ぎないが、紹介した。

*鍵の聖務とは何ですか。

鍵の聖務とは、悔い改めた罪人をゆるすため、また反対に、悔い改めるまでは赦しを与えることを控えるために、キリストが世にあるキリストの教会にお与えになった特別な権威です。

*それはどこに書かれていますか。

福音書記者ヨハネがその20章で次のように書いています。「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。』(ヨハネ20:22-23)。」

*これらのことばによって何を信じますか。

召されたキリストのしもべである牧師が神の命令によって私たちをとりあつかうとき、なかでも、悔い改めない罪人を公にキリスト者の会衆から除外したり、また、悔い改めて自らをたてなおそうとする者を赦して会衆に迎え入れたりするときに、それは私たちの愛する主キリストご自身が私たちをとりあつかってくださると同じように、天においてさえ、妥当であり確かなことであると信じます。

*これらの質問はルター自身の手によるものではないかも知れないが、彼の教えを反映するものであり彼の生きている間に小教理問答に加えられたものである。

聖壇の礼典

一家の主人は このことを やさしく家族に 教えなさい。

聖餐の 礼典は 何ですか。

私たちの主 イエス・キリストの まことの体と血なのです。 パンと ぶどう酒の もとで 私たち クリス チャンが 食べて飲むように キリストが みずから設定 されました。

どこに 書いて ありますか。

聖なる福音書の記者の マタイ、マルコ、ルカ、そして 聖パウロが書いて います。 『私たちの主 イエス・キリストは 裏切られる夜 パンを取り 感謝し裂いて 弟子たちに与え、『これを 取って 食べなさい。これは あなたがたのために 与える わたしの体です。わたしを記念し このように 行いなさい』と おっしゃった。 夕食のあとで 同様に イエスは杯をも取って 感謝し、弟子たちに 与え、 『皆これを取り 飲みなさい、 この杯は あなたがたのため 罪の赦しを 得させるように 流されたわたしの血による 新しい 契約です。あなた がたは 飲む度に わたしを記念し このように 行いなさい』と おっしゃった。

それではこんな 飲食に どんな 利益がありますか。

それは御言葉が 示します。 罪の赦しを 得させるように あなたがたのため 与えられ 流された、と あるように この聖礼典の 中で 罪の赦しと 命と救いが このような御言葉を通し 私たちに与えられます。罪の赦しの あるところ、 命と救いも あるからです。

どうやって そんな 大きなことが 体の 飲食に できますか。

もちろん 飲食が するのでなく ここに 書かれた 御言葉です。罪の 赦しを 得させるように あなたがたのため与えられ 流された、とある 通りです。体の飲食と 共に その御言葉が あることが この礼典の 中心です。それで、 これらの御言葉を 信じる人は、 御言葉が 語っている罪の赦しを 語る とおりに持つのです。

そのような 礼典を 受けるのに ふさわしいのは 誰ですか。

断食、体の備えは、確かに 外面的には よい訓練です。しかし まことにふさわしく 本当に 適して いる人は この御言葉を 信じる人です。罪の赦しを 得させるように あなたがたのため 与えられ 流された、という 御言葉です。しかし これらの御言葉を 信じず 疑う人は皆 ふさわしくなく 適しません。なぜなら この御言葉の言う 「あなた がたの ために」とは 信じる心の ほか何も 求めていない からなのです。

朝夕と食前・食後の祈り

一家の主人は このことを やさしく家族に 教えなさい。

朝の祈り

(朝起きたとき、十字を切って)

父と 御子と 聖霊の、ひとりの まことの 神様のお名前によって 祈ります。アーメン。

(そこでひざまずいてもよいし、立ったままでもよい。使徒信条と主の祈りを言う。もし望むなら次の短い祈りを加える)

わたしの 天の お父様、あなたの 愛する ひとり子のイエス様により きのうの晩、わたしを 守って くださって、本当に 感謝を いたします。今日も 一日 神様が、すべての 罪や けがれから、わたしを 守って いてください。わたしの すること、話すこと、わたしの 今日の 一日が、あなたの みむねに かなうこと、これが わたしの 祈りです。わたしの 体も たましいも、そっくり あなたに まかせます。あなたの 聖なる み使いに、悪い ものの 力から、わたしを 守らせて ください。主イエスの 名前で 祈ります。アーメン。

(そして十戒や、その他自分の信仰の示すところに従って賛美歌を歌いつつ、喜んで自分の仕事につく)

夜の祈り

父と 御子と 聖霊の、ひとりの まことの 神様のお名前によって 祈ります。アーメン。

(そこでひざまずいてもよいし、立ったままでもよい。使徒信条と主の祈りを言う。もし望むなら次の短い祈りを加える)

わたしの 天の お父様、あなたの 愛する ひとり子のイエス様により 今日の日も、わたしを 守って くださって、本当に 感謝を いたします。わたしの おかした 罪のため主イエス様が 十字架で、かわりに 死んで くださった恵みの 約束 信じます。ゆるされたことで 安心しあなたの 恵みを 喜びます。わたしの 体も たましいも、そっくり あなたに まかせます。あなたの 聖なる み使いに、悪い ものの 力から、わたしを 守らせて ください。主イエスの 名前で 祈ります。アーメン。

(そしてすぐ喜びのうちに眠ります)

一家の主人は 家族に 食事の感謝の 祈りを 教えなさい。

食前の祈り

(子どもたちや家の者は、手を組み合わせ、行儀よく食卓につき、次のように祈りなさい)

みんなのひとみは あなたに向けられ、主はよいときに 食べ物 くださる。あなたは その手を 大きく ひろげ、すべての 命を 養い育てる。(詩編145:15-16)

(次に主の祈りを祈り、そして次のように祈る)

主なる 神様、天の父、わたくしたちと このプレゼント、豊かに 祝福してください。あなたの あふれる 恵みの 中からこれらの 食べ物 いただきます。主イエスの 名前で 祈ります。アーメン。

食後の祈り

(食事ののちもまた、手を組み合わせ、行儀よく、同じように次のように祈りなさい)

主に感謝せよ。主はすばらしい。主のみ恵みには 限りがない。主は 生き物に 食べ物 あたえ、鳴くこがらすをも 養い育てる。馬の力を 主は喜ばない。人の足をも 好まない。主の喜びは 主に頼る人、主へのおそれの 宿る人。たしかな たしかな 主の愛にだけ、すべての 望みを かける人。(詩編136:1,25,147:9-11)

(次に主の祈りを祈り、そして次のように祈る)

主なる 神様、天の父、あなたに 感謝を いたします。あなたの 恵みは ことごとく、主イエスを 通して 受け取ります。父なる あなたと 聖霊とともに、とこしえに生き、すべ治められる主イエスの 名前で 祈ります。アーメン。

家 訓

様々な聖なる職務や役割、生活の場を持つ人々が、
その義務と責任に励むように勧める、いくつかの該当聖句

監督、牧師、および説教者に

「監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません。・・・監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。」

テモテ第一3:2-4,6

「監督は・・・教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。」

テトス1:9

説教を聞くキリスト者が、彼らの教師、 牧師に対して

「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。」

ルカ10:7

「同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。」

コリント第一9:14

「御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。」

ガラテヤ6:6-7

「よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは二倍の報酬を受けるにふさわしい、と考えるべきです。聖書には『脱穀している牛に口籠をはめてはならない』と、また『働く者が報酬を受けるのは当然である』と書かれています。」

テモテ第一5:17-18

「兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛を もって心から尊敬しなさい。」

テサロニケ第一5:12-13

「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。」

ヘブライ13:17

この世の権威について

「人は皆、上に立つ権戚に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権戚はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権戚者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。」

ローマ13:1-4

国民がこの世の権威に対して

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

マタイ22:21

「だから、怒りを逃れるためでなく、良心のためにも、これに従うべきです。あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を治め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。」

ローマ13:5-7

「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。」

テモテ第一2:1-3

「人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これに従い、すべての善い業を行う用意がなければならない。」

テトス3:1

「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。」

ペトロ第一2:13-14

夫に対して

「夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。」

ペトロ第一3:7

「夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。」

コロサイ3:19

妻に対して

「妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。」

エフェソ5:22

「その昔、神に望みを託した聖なる婦人たちも、このように装って自分の夫に従いました。たとえばサラは、アブラハムを主人と呼んで、彼に服従しました。あなたがたも、善を行い、また何事も恐れないなら、サラの娘となるのです。」

ペトロ第一3:5-6

両親に対して

「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」

エフェソ6:4

子に対して

「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。『父と母を敬いなさい。』 これは約束を伴う最初の掟です。『そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です。」

エフェソ6:1-3

すべての労働者に

「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分のものであっても、善いことを行えば、だれでも主から報いを受けるのです。」

エフェソ6:5-8

主人(雇用主)に

「主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あながたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。」

エフェソ6:9

若者に

「同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。」

ペトロ第一5:5-6

やもめに

「身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。」

テモテ第一5:5-6

すべての人々に

「そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』ということばに要約されます。」

ローマ13:9

「そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」

テモテ第一2:1

〔おのおのその教えを注意深く学びなさい。そうすれば全家に幸いがあるであろう。〕

クリスチャンへの問いと答え

ー聖餐にあずかる前にー

クリスチャンが自分をよく吟味するための問いと答えで、
聖餐の礼典にあずかろうとする人のために、マルティン・ルターが書き備えたもの

(このルターの「クリスチャンへの問いと答え」は、1551年版「小教理問答」に初めて掲載された。) ざんげの告白が済み、十戒、使徒信条、主の祈り、洗礼の礼典、聖餐の礼典についての教えを受けてから、これらの質問を牧師が問うか、あるいは、クリスチャンが自分自身に問うもの。

1.あなたは、自分が罪人であると信じますか。

はい、信じます。私は罪人です。

2.なぜわかりますか。

十戒によってです。私はそれを守ってきませんでした。

3.あなたは、自分の罪を悲しんでいますか。

はい。私は神に対して罪をおかしてきたことを悲しんでいます。

4.あなたは、その罪のために神から何を受けることがふさわしいですか。

私には、神の怒りと嫌悪、死と永遠ののろいがふさわしいと思います。ローマ6:21,23

5.あなたは、救われたいと望んでいますか。

はい。救われたいと望んでいます。

6.それではあなたは誰に信頼しますか。

私は、私の愛する主イエス・キリストに信頼します。

7.キリストとはどなたですか。

キリストは神の御子、まことの神であり人であるお方です。

8.神は何人いらっしゃるのですか。

神はお一人です。しかし父、御子、聖霊という三つの位格があります。

9.あなたが信頼しているキリストはあなたのために何をして下さったのですか。

私の罪の赦しのために、キリストは十字架の上で私のために死に、血を流して下さいました。

10.父なる神があなたのために死んで下さったのですか。

いいえ、そうではありません。父なる神は、聖霊なる神がそうであるように、神であられるだけです。けれども、御子はまことの神であり、まことの人です。御子が私のために死に、その血を流して下さいました。

11.どのようにしてそのことがわかるのですか。

聖なる福音書からです。聖餐を設定された御言葉からです。また、聖餐式の中で確かな約束の証拠として与えられたキリストのからだと血からわかります。

12.聖餐の設定の御言葉はどれですか。

コリント第一11章23節から25節です。

「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。
また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度にわたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。」

13.それでは、あなたはキリストのまことのからだとまことの血が聖餐のうちに真実にあることを信じますか。

はい、私はそう信じます。

14.どうしてそのような確信があるのですか。

キリストの御言葉によります。「これは、あなたがたのためのわたしの体である。」 「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい。」

15.私たちがキリストのからだを食べ、キリストの血を飲んで、キリストの約束の証拠を受け取るとき、私たちは何をしなければならないのですか。

私たちは、キリストご自身がそう教えて下さったように、キリストの死とキリストが血を流されたことを思い、また告げ知らせなければなりません。「飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。

16.なぜ私たちはキリストの死と血を流されたことを思い、また告げ知らせなければならないのですか。

まず、キリストご自身以外には誰も私たちの罪を償うことができないことを信じるようになるためです。まことの神であり人であられるキリストだけがそうできるのです。
第二に、自分の罪のために恐れおののき、罪を深刻なこととして自覚するようになるためにです。
第三に、キリストのうちにのみ、私たちの喜びと慰めを見いだし、キリストを信じる信仰を通して救われるためにです。

17.キリストがあなたのために死に、あなたの罪のすべてを償って下さった動機は何ですか。

それはキリストの、父なる神と私とほかのすべての罪人に対する、大きな愛によるものです。ヨハネ14章、ローマ5章、ガラテヤ2章、エフェソ5章に書かれている通りです。

18.最後に、あなたはどうして聖餐にあずかりたいのですか。

それは、キリストがその大いなる愛のゆえに、私の罪のために死んで下さったことを信じるようになるために、また、神と私の隣人を愛することをキリストから学ぶためにです。

19.クリスチャンがたびたび聖餐にあずかるようにと訓戒し励ますものは何ですか。

第一に、主なるキリストご自身の命令と約束の両方によります。
第二に、自分自身の差し迫る必要によります。その必要が私たちに命令や励ましや約束が与えられている理由です。

20.しかし、もしあなたがその必要に気付いておらず、聖餐に対して何の飢え渇きも感じていないときは、どうしたらよいですか。

そのような人には、次のようなアドバイスが最善でしょう。

第一に、自分の身体を触って自分にはまだ肉体や血があるか確かめるよう勧めなさい。そうすれば聖書がガラテヤ5章やローマ7章で言っている意味がわかるでしょう。
第二に、まわりを見回して自分がまだこの世に生きていることを確かめるよう勧めなさい。ヨハネ15章-16章、ヨハネ第一2章や5章にいわれている通り、この世は罪と問題で満ちています。
第三に、確かに自分のまわりには常に悪魔がいることを確かめるよう勧めなさい。ヨハネ8章、16章、ペトロ第一5章、エフェソ6章、テモテ第二2章にある通り、悪魔は昼夜を問わず私たちを嘘であざむき、人を殺して、心の内からは平安を、外では平和を奪うのです。

注意 : これらの問いと答えは、こどものあそびではなく、若い人にもそうでない人にも非常に真剣なこととして小教理問答の著者であるルタ一博士が書いています。ひとりひとりが重大なこととして留意しましょう。聖パウロがガラテヤ6章7節で次のように書いているからです。「思い違いをしてはいけません。神は人から侮られることはありません。」

付 録

十 戒

本 文

第一戒 わたしはあなたの神、主です。 わたしのほかに 何ものも 神としては なりません。

第二戒 あなたの神、主のお名前を むやみに使ってはなりません。

第三戒 安息日を心に留めて これを 聖く保ちなさい。

第四戒 敬え、あなたの父母を。

第五戒 あなたは殺しては ならない。

第六戒 姦淫してはなりません。

第七戒 あなたは盗んでは ならない。

第八戒 あなたは隣人に対して 偽証しては なりません。

第九戒 あなたは隣人の 家をほしがっては なりません。

第十戒 隣人の妻、しもべたち、牛、ろば、すべて彼のもの、 ほしがっては なりません。

使徒信条(七五調)

私は、天地の造り主、 何でもおできに なるお方、 父なる神を 信じます。

私は、その ひとり子である 私たちの 主なる方、イエス・キリストを 信じます。主は、聖霊に より宿り、 おとめ マリヤ から生まれ、 ポンテオ・ピラトに 苦しめられ、 十字架の上に つけられて、 死んで葬 られました。よみに下られ、三日目に 死人の中から よみがえり、 天にのぼって 行きました。そして何でも おできになる 父なる神の 右に座し、 生きている人、死んだ人、 さばきにそこから 来られます。

私は、聖霊を 信じます。また聖なるキリスト教会・ すなわち 聖徒の交わりと、 罪の 赦される ことと、 体のよみがえる ことと、 永遠の命を 信じます。アーメン。

使徒信条

われは、天地のつくりぬし、父なる全能の神を信ず。

われは、そのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死して葬られ、よみに下り、三日目によみがえり、天に昇り、父なる全能の神の右に座したまえり。生ける人と死にたる人とをさばかんがため、かしこより再び来たりたまわん。

われは聖霊を信ず。また、聖なるキリスト教会、すなわち、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなき命を信ず。アーメン

主の祈り

天にましますわれらの父よ。

願わくはみ名をあがめさせたまえ。

み国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

われらの日用の糧を今日も与えたまえ。

われらに罪を犯す者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。

われらを試みにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン