レビ 19:32 白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。
19:33 寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。
19:34 あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。
19:35 あなたたちは、不正な物差し、秤、升を用いてはならない。
19:36 正しい天秤、正しい重り、正しい升、正しい容器を用いなさい。わたしは、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。
19:37 わたしのすべての掟、すべての法を守り、それを行いなさい。わたしは主である。
詩篇 119:1 いかに幸いなことでしょう まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。
119:2 いかに幸いなことでしょう 主の定めを守り 心を尽くしてそれを尋ね求める人は。
119:3 彼らは決して不正を行わず 主の道を歩みます。
119:4 あなたは仰せになりました あなたの命令を固く守るように、と。
119:5 わたしの道が確かになることを願います あなたの掟を守るために。
119:6 そうなれば、あなたのどの戒めに照らしても 恥じ入ることがないでしょう。
119:7 あなたの正しい裁きを学び まっすぐな心であなたに感謝します。
119:8 あなたの掟を守ります。どうか、お見捨てにならないでください。
ローマ 3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
3:26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
3:27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。
3:30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。
3:31 それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。
人が救われるのは、律法によるのではなく、恵みにより、信仰によって救われる。
それは、どれだけのことを行ったかとか、どれだけ捧げたのかといったことによって救われるかどうかが違ってくるようなものではないことを表している。
もし、人の救いが人間の業いかんによるものであったのなら、力のないものや能力の劣るものなどは救われないことになってしまうからである。
生まれた時から障害をもっている人もいれば、そうでなくても、人は歳と共に体力も思考も衰えていくもの。
歳をとれば、みななにがしか体に不具合も出てくるし、病気にもなる。
そうなったとき、救いの基準が人間の業によって決まるようなものであるのなら、これほど不公平なことはないし、これほど悲しいことはないだろう。
しかし、主の恵みは全ての人に平等に分け与えられるもの。
誰もが「信じる」だけで恵みを得ることができ、救いにあずかることができる。
だからこそ、このような救いをもたらす主なる神様は素晴らしい。
この救いの恵みを実現して下さったイエス様に、あの十字架の御業に感謝しつつ、信じて従っていくものでありたい。