オバデヤ 1:17 しかし、シオンの山には逃れた者がいて そこは聖なる所となる。ヤコブの家は、自分たちの土地を 奪った者の土地を奪う。
1:18 ヤコブの家は火となり ヨセフの家は炎となり エサウの家はわらとなる。火と炎はわらに燃え移り、これを焼き尽くす。エサウの家には、生き残る者がいなくなる」と まことに、主は語られた。
1:19 彼らは、ネゲブとエサウの山、シェフェラとペリシテ人の地を所有し、またエフライムの野とサマリアの野、ベニヤミンとギレアドを所有する。
1:20 捕囚となったイスラエル人の軍団は、カナン人の地をサレプタまで所有する。捕囚となった、セファラドにいるエルサレムの人々は、ネゲブの町々を所有する。
1:21 救う者たちがシオンの山に上って、エサウの山を裁く。こうして王国は主のものとなる。

詩篇 26:1  ダビデの詩。 主よ、あなたの裁きを望みます。わたしは完全な道を歩いてきました。主に信頼して、よろめいたことはありません。
26:2 主よ、わたしを調べ、試み はらわたと心を火をもって試してください。
26:3 あなたの慈しみはわたしの目の前にあり あなたのまことに従って歩き続けています。
26:4 偽る者と共に座らず 欺く者の仲間に入らず
26:5 悪事を謀る者の集いを憎み 主に逆らう者と共に座ることをしません。
26:6 主よ、わたしは手を洗って潔白を示し あなたの祭壇を廻り
26:7 感謝の歌声を響かせ 驚くべき御業をことごとく語り伝えます。
26:8 主よ、あなたのいます家 あなたの栄光の宿るところをわたしは慕います。
26:9 わたしの魂を罪ある者の魂と共に わたしの命を流血を犯す者の命と共に 取り上げないでください。
26:10 彼らの手は汚れた行いに馴れ その右の手には奪った物が満ちています。
26:11 わたしは完全な道を歩きます。わたしを憐れみ、贖ってください。
26:12 わたしの足はまっすぐな道に立っています。聖歌隊と共にわたしは主をたたえます。

ルカ 16:19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
16:20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
16:21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。
16:22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
16:23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
16:24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』
16:27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。
16:28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
16:29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』
16:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』
16:31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

かつて世界の各地に離散したイスラエルの民は、やがて約束の地へ帰ることができるという聖書の約束に信頼し、歴史においては、半ば強制的にその約束を実現するため、イスラエル国家が建設されていった。
イスラエルの人たちにしてみれば、これは悲願でもあったであろうし、神の祝福の約束が成就した形であると信じたことだろう。
しかし、その結果、現地に住んでいたパレスチナの民との戦いや、周辺アラブ諸国との戦いが発生し、未だ解決の見えない泥沼の中にある。
まことの平和や祝福とは程遠いのが現実の世界である。
果たして主なる神様は、ほんとうにそのようなことを約束されていたのだろうか。
たしかにパレスチナの地は、聖書の舞台でもあり、歴史を通して、その地で神の救いの御業が顕されてきた。
しかし、私たちにとって、永遠の都であり、天のみ国は、そこにあるわけではない。

ルカ16章では、人の死後の世界の様子についてイエス様が言及されている、非常に貴重な証言がなされている。
他の箇所は、イエス様が死後の世界について語られているような箇所は見当たらない。
それほどに貴重な証言であると言えるが、ここには、人が死後、アブラアムのもと、すなわちそれは、神によって救われた者たちの集うところがあり、そこでは、永遠に滅びることのない命の約束がなされていることが伺える。
そしてそれは、当然、この地上にある場所ではない。
パレスチナでもエルサレムでもない。
慰めと平安に満ちた、神の国である。
人が殺し合ったり、苦しんだりするような所ではない。
この地上に、そのような世界を求める限り、人の争いは絶えないし、ますます混迷を深めて行くだけであろう。
もはや死もも涙も苦しみ痛みもない、そのような世界が神のみもとにあること覚えつつ、その救いを約束されている神の御言葉に信頼しつつ、その上で、たと困難が多くあろうとも、この地上での生涯を歩み続けて行きたいものである。

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