アモス 9:11 その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し その破れを修復し、廃虚を復興して 昔の日のように建て直す。
9:12 こうして、エドムの生き残りの者と わが名をもって呼ばれるすべての国を 彼らに所有させよう、と主は言われる。主はこのことを行われる。
9:13 見よ、その日が来れば、と主は言われる。耕す者は、刈り入れる者に続き ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。山々はぶどうの汁を滴らせ すべての丘は溶けて流れる。
9:14 わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒された町を建て直して住み ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み 園を造って、実りを食べる。
9:15 わたしは彼らをその土地に植え付ける。わたしが与えた地から 再び彼らが引き抜かれることは決してないと あなたの神なる主は言われる。

詩篇 142:1  マスキール。ダビデの詩。ダビデが洞穴にいたとき。祈り。 
142:2 声をあげ、主に向かって叫び 声をあげ、主に向かって憐れみを求めよう。
142:3 御前にわたしの悩みを注ぎ出し 御前に苦しみを訴えよう。
142:4 わたしの霊がなえ果てているとき わたしがどのような道に行こうとするか あなたはご存じです。その道を行けば そこには罠が仕掛けられています。
142:5 目を注いで御覧ください。右に立ってくれる友もなく 逃れ場は失われ 命を助けようとしてくれる人もありません。
142:6 主よ、あなたに向かって叫び、申します 「あなたはわたしの避けどころ 命あるものの地で わたしの分となってくださる方」と。
142:7 わたしの叫びに耳を傾けてください。わたしは甚だしく卑しめられています。迫害する者から助け出してください。彼らはわたしよりも強いのです。
142:8 わたしの魂を枷から引き出してください。あなたの御名に感謝することができますように。主に従う人々がわたしを冠としますように。あなたがわたしに報いてくださいますように。

ルカ 7:31 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。
7:32 広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった。』
7:33 洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、
7:34 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。
7:35 しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

人間と言うのは、基本、罪人である。
もっともらしいことを言っていても、どこかひねくれていたりする。
ヨハネのように、厳しく悔い改めの言葉を説くと「厳しすぎる、もっと慰めの言葉を」と要求し、イエス様のように赦しの言葉を告げると「それではダメだ、もっと厳しく指導を」と言う。
言ってもダメ、言わなくてもダメ、やってもダメ、やらなくてもダメ、一体、何をどうしろと言うのだろうか。

しかし、中には何を言っても、何をやっても、従順に従おうとする人もいる。
そのような人は、自分の思いや自分の意見を第一とせず、神の御心を第一としようとするため、自ずと祝福されていく。

1ペテロ2:20 罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。
2:21 あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。
2:22 「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。」
2:23 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。
2:24 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
2:25 あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。

イエス様は、どんなに批判されようと、迫害されようと、神の御心を成し遂げるために、黙って十字架へと進み行かれた。
イエス様のこのお姿を見上げつつ、ただただ聖書の御言葉に聞き、信じて従っていくことを続けて行きたいものである。

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