哀歌 1:16 それゆえわたしは泣く。わたしの目よ、わたしの目よ 涙を流すがよい。慰め励ましてくれる者は、遠く去った。敵は勢いを増し わたしの子らは荒廃に落ちてゆく。
1:17 シオンは手を差し出すが、慰める者はない。主は敵に命じてヤコブを包囲させられた。エルサレムは敵の中で、笑いものになっている。
1:18 主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ。聞け、諸国の民よ 見よ、わたしの痛みを。わたしのおとめらも若者らも 捕えられ、引かれて行った。
1:19 わたしは愛した人々に呼びかけたが 皆、わたしを裏切った。わたしの祭司ら長老らは、都で息絶える 命をつなごうと、食べ物を乞いながら。
1:20 御覧ください、主よ、この苦しみを。胸は裂けんばかり、心は乱れています。わたしは背きに背いたのです。外では剣が子らを奪い 内には死が待っています。
1:21 聞いてください、わたしの呻きを。慰めてくれる者はありません。敵は皆、わたしの受けた災いを耳にして あなたの仕打ちを喜んでいます。彼らにも定めの日を来らせ わたしのような目に遭わせてください。
1:22 敵の悪事が御前に届きますように。あなたの懲らしめを受けますように。あなたに背いたわたしが こんなにも懲らしめられたように。わたしはこうして呻き続け 心は病に侵されています。
詩篇 30:1 賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩。
30:2 主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく わたしを引き上げてくださいました。
30:3 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしを あなたは癒してくださいました。
30:4 主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ 墓穴に下ることを免れさせ わたしに命を得させてくださいました。
30:5 主の慈しみに生きる人々よ 主に賛美の歌をうたい 聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。
30:6 ひととき、お怒りになっても 命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
30:7 平穏なときには、申しました 「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。
30:8 主よ、あなたが御旨によって 砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると わたしはたちまち恐怖に陥りました。
30:9 主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。
30:10 わたしが死んで墓に下ることに 何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。
30:11 主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。
30:12 あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。
30:13 わたしの魂があなたをほめ歌い 沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ とこしえにあなたに感謝をささげます。
2コリント 7:2 わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。
7:3 あなたがたを、責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしたちの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。
7:4 わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。
7:5 マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。
7:6 しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。
7:7 テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。
7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、
7:9 今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。
7:10 神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
7:11 神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。
7:12 ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。
7:13 こういうわけでわたしたちは慰められたのです。この慰めに加えて、テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお陰で元気づけられたからです。
7:14 わたしはあなたがたのことをテトスに少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、わたしたちはあなたがたにすべて真実を語ったように、テトスの前で誇ったことも真実となったのです。
7:15 テトスは、あなたがた一同が従順で、どんなに恐れおののいて歓迎してくれたかを思い起こして、ますますあなたがたに心を寄せています。
7:16 わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを喜んでいます。
パウロは、いわゆる熱血漢タイプの人物であったと思われ、良いと思ったことは、とことん突き詰めていくし、悪いと思ったことは、相手が誰であろうと、厳しく叱責するようなところもあったことであろう。
コリントの町のクリスチャンたちにも、第一の手紙とこの第二の手紙を書き残しているが、時折、かなり厳しい口調で語られていることが伺える。
もちろん、パウロとしては、良かれと思ってしていることであるし、間違ったことを言っているわけではない。
けれど、それによって、多くの反発を受ける事になったであろうし、パウロ自身、厳しく叱責したことを後悔したこともあるのだろう。
けれど、彼は、自分らしく生きることを徹していったし、間違っていたのなら素直に過ちを認め、謝るといったこともあったことと思う。
人間は、どんなに優れた人でも過ちを犯すことはあるし、そもそも罪人であるがゆえに、多くの罪を犯してしまうもの。
けれど、そのことを理解しているかどうかによって、人の行動は違ってくる。
パウロは、常に自分に正直に、誠実に歩もうとしていたし、それゆえに、自分の罪を思い知らされて叩かれることもあっただろう。
けれど、彼は、常に十字架のキリストを目の前に見ていた。
だから、どんなに罪を犯し、失敗しようとも、それによって落ち込んだままだったり、投げ槍になったりすることは無かっただろう。
罪赦されて、再び立ち上がらせてもらい、赦された者として生きる。
それがパウロの生き方だっただろうし、私たちもそうありたい。