ヨブ 29:21 人々は黙して待ち望み わたしの勧めに耳を傾けた。
29:22 わたしが語れば言い返す者はなく わたしの言葉は彼らを潤した。
29:23 雨を待つように 春の雨に向かって口を開くように 彼らはわたしを待ち望んだ。
29:24 彼らが確信を失っているとき わたしは彼らに笑顔を向けた。彼らはわたしの顔の光を 曇らせることはしなかった。
29:25 わたしは嘆く人を慰め 彼らのために道を示してやり 首長の座を占め 軍勢の中の王のような人物であった。
30:1 だが今は、わたしより若い者らが わたしを嘲笑う。彼らの父親を羊の番犬と並べることすら わたしは忌まわしいと思っていたのだ。
30:2 その手の力もわたしの役には立たず 何の気力も残っていないような者らだった。
30:3 無一物で飢え、衰え 荒涼とした砂漠や沼地をさまよい
30:4 あかざの葉を摘み れだまの根を食糧としていた。
30:5 彼らは世間から追われ 泥棒呼ばわりされ
30:6 身震いさせるような谷間や 土の穴、岩の裂け目に宿り
30:7 茨の間で野ろばのようにいななき あざみの下に群がり合っていた。
30:8 愚か者、名もない輩 国からたたき出された者らだった。
30:9 ところが今は、わたしが彼らのはやし歌の種 嘲りの言葉を浴びる身になってしまった。
30:10 彼らはわたしを忌み嫌って近寄らず 平気で顔に唾を吐きかけてくる。
30:11 彼らは手綱を振り切り、わたしを辱め くつわを捨てて勝手にふるまう。
30:12 彼らは生意気にもわたしの右に立ち わたしを追い出し、災いの道を行かせ
30:13 逃げ道を断ち、滅びに追いやろうとする。それを止めてくれる者はない。
30:14 襲って来て甚だしく打ち破り 押し寄せて来て廃虚にする。
30:15 死の破滅がわたしを襲い わたしの力は風に吹きさらわれ わたしの救いは雲のように消え去った。

詩篇 107:1 「恵み深い主に感謝せよ 慈しみはとこしえに」と
107:2 主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い
107:3 国々の中から集めてくださった 東から西から、北から南から。

107:23 彼らは、海に船を出し 大海を渡って商う者となった。
107:24 彼らは深い淵で主の御業を 驚くべき御業を見た。
107:25 主は仰せによって嵐を起こし 波を高くされたので
107:26 彼らは天に上り、深淵に下り 苦難に魂は溶け
107:27 酔った人のようによろめき、揺らぎ どのような知恵も呑み込まれてしまった。
107:28 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと 主は彼らを苦しみから導き出された。
107:29 主は嵐に働きかけて沈黙させられたので 波はおさまった。
107:30 彼らは波が静まったので喜び祝い 望みの港に導かれて行った。
107:31 主に感謝せよ。主は慈しみ深く 人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
107:32 民の集会で主をあがめよ。長老の集いで主を賛美せよ。

使徒 21:1 わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、
21:2 フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。
21:3 やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。
21:4 わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。彼らは”霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。
21:5 しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、
21:6 互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。
21:7 わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。
21:8 翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。
21:9 この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。
21:10 幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。
21:11 そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」
21:12 わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。
21:13 そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」
21:14 パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。
21:15 数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。
21:16 カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、ずっと以前から弟子であった。

パウロは、三度にわたる伝道旅行を終え、エルサレムへ帰ろうとしていた。
しかし、彼の前に現れた預言者は、パウロがエルサレムで捕らえられることになるであろうことを告げるのである。
パウロは、仮にそうだとしても、自分は予定通りエルサレムへ向かう事を変えることはなく、むしろ、囚われようが、自由であろうが、自分はやるべきことを続けていくだけであるし、最後まで主の召されるところに従って生きて行こうとしていたのである。
パウロのみならず、初代教会の時代には、既に各地でクリスチャンに対する迫害が始まっていた。
なぜ、そんな迫害が起こるのか、なぜ自分が迫害されなければならないのかと思う人もいるかもしれないが、迫害が起こることに理由などないのだろう。
人間は罪人であり、自分の都合で人を褒めたり、けなしたり、たとえそれが同じ相手であっても、立場や状況が変われば、人の行動も変って来る。
なにより、パウロ自身がそのことをよく知っていたはずである。
なぜなら、パウロもかつてクリスチャンたちを迫害し、そのために人生を捧げようとしていたような人であったからである。
そんな彼が、今や、キリストの福音を宣べ伝える人となっているのだから、誰よりも迫害されてもおかしくはない、と考えていたことだろう。
迫害する者たちから言えば、パウロは裏切り者である。
しかし、そんなパウロが、迫害されることも覚悟の上で、それでも自分の人生をかけて仕えていきたいと思わされたのが、キリストの十字架の贖いと復活の御業による救いの約束なのだ。
自分こそ、キリストの十字架の贖いによる罪の赦しと救いが必要であることを知ったからであろう。
イエス様の救いの約束は、そこまで人を生まれ変わらせることができる。
だから、今、キリスト教や教会に対して良い感情を持っていない人がいてもそれは仕方がないし、むしろ、いつか何かをきっかけに、逆の立場になるかもしれない。
きっとパウロはそう信じて歩んでいたことであろうし、我々も、そう信じて、いつの日か、共にキリストを見上げて生きることができるように歩んで行きたいものである。

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