エレミヤ 21:11 ユダの王家に対して。「主の言葉を聞け。
21:12 ダビデの家よ、主はこう言われる。朝ごとに正しい裁きを行え。搾取されている人を 虐げる者の手から救い出せ。わたしが火のような怒りを 発することのないように。お前たちの悪事のゆえにその火は燃え 消す者はいないであろう。
21:13 谷に臨んで座する者よ、平野の岩よ 見よ、わたしはお前に向かう、と主は言われる。『誰が我々に襲いかかるであろうか 誰が我々の住まいに攻め寄せるだろうか』と 言う者よ
21:14 わたしはお前たちの悪事の結果に従って報いると 主は言われる。わたしは火を周囲の森に放ち 火はすべてを焼き尽くす。」

詩篇 52:1  指揮者によって。マスキール。ダビデの詩。
52:2 エドム人ドエグがサウルのもとに来て、「ダビデがアヒメレクの家に来た」と告げたとき。 
52:3 力ある者よ、なぜ悪事を誇るのか。神の慈しみの絶えることはないが
52:4 お前の考えることは破滅をもたらす。舌は刃物のように鋭く、人を欺く。
52:5 お前は善よりも悪を 正しい言葉よりもうそを好み
52:6 人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む。
52:7 神はお前を打ち倒し、永久に滅ぼされる。お前を天幕から引き抜き 命ある者の地から根こそぎにされる。
52:8 これを見て、神に従う人は神を畏れる。彼らはこの男を笑って言う。
52:9 「見よ、この男は神を力と頼まず 自分の莫大な富に依り頼み 自分を滅ぼすものを力と頼んでいた。」
52:10 わたしは生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。
52:11 あなたが計らってくださいますから とこしえに、感謝をささげます。御名に望みをおきます あなたの慈しみに生きる人に対して恵み深い あなたの御名に。

黙示録 21:22 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。
21:23 この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。
21:24 諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。
21:25 都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。
21:27 しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。
22:1 天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。
22:2 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。
22:3 もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、
22:4 御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。
22:5 もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。

黙示録の箇所には、天のみ国の様子について語られており、救われた者たちがそこに集い、栄光の神からの祝福を受け、幸いな光景が広がっていることが伺える。
そこに入ることのできる人は「小羊の命の書に名が書いてある人」だけであり、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者は、誰一人そこに入ることはできないという。
ふと、果たして自分はどちらであろうかと考えてみると、自分は「汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者」ではない、と断言できるようなものではないことを思わされる。
しかも「小羊の命の書に名がかいていある」ということは、明らかに、自分で署名したものではなく、誰かに書いてもらったものであるかのような表現が用いられていることが伺え、ますます「自分はふさわしくないもの」と思えてくる。
しかし、「小羊の命の書」ということは、イエス様の十字架の贖いによってもたらされた救いのことを示しており、この方が私のために身代わりとなって十字架で死んで下さったことを信じる者は、この救いに与ることができるというのが聖書の教えであり、イエス様を信じるならば、この「小羊の命の書」に名前を記して頂けるのである。

黙示録7:9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、
7:10 大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。」
7:11 また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、
7:12 こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン。」
7:13 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
7:14 そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
7:15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。
7:16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。
7:17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」

私たちの救いを完成して下さったのは、全て、十字架でその身を捧げて私たちの全ての罪を贖い、救って下さった主イエス様の御業による。
私たちは、この方を救い主として信じている。
だから、どんなことがあっても、平安でいられるのである。
天のみ国おいて、主にあって救われた神の家族と共に、栄光の主なる神様とお会いすることのできる幸いを覚えて、今日も信仰の生涯を歩んでいきたいものである。

Write a comment:

Your email address will not be published.