イザヤ 26:16 主よ、苦難に襲われると 人々はあなたを求めます。あなたの懲らしめが彼らに臨むと 彼らはまじないを唱えます。
26:17 妊婦に出産のときが近づくと もだえ苦しみ、叫びます。主よ、わたしたちもあなたの御前で このようでした。
26:18 わたしたちははらみ、産みの苦しみをしました。しかしそれは風を産むようなものでした。救いを国にもたらすこともできず 地上に住む者を 産み出すこともできませんでした。
26:19 あなたの死者が命を得 わたしのしかばねが立ち上がりますように。塵の中に住まう者よ、目を覚ませ、喜び歌え。あなたの送られる露は光の露。あなたは死霊の地にそれを降らせられます。
26:20 さあ、わが民よ、部屋に入れ。戸を堅く閉ざせ。しばらくの間、隠れよ 激しい憤りが過ぎ去るまで。
26:21 見よ、主はその御座を出て 地に住む者に、それぞれの罪を問われる。大地はそこに流された血をあらわに示し 殺された者をもはや隠そうとはしない。
27:1 その日、主は 厳しく、大きく、強い剣をもって 逃げる蛇レビヤタン 曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し また海にいる竜を殺される。
詩篇 74:1 マスキール。アサフの詩。 神よ、なぜあなたは 養っておられた羊の群れに怒りの煙をはき 永遠に突き放してしまわれたのですか。
74:2 どうか、御心に留めてください すでにいにしえから御自分のものとし 御自分の嗣業の部族として贖われた会衆を あなたのいます所であったこのシオンの山を。
74:3 永遠の廃虚となったところに足を向けてください。敵は聖所のすべてに災いをもたらしました。
74:4 あなたに刃向かう者は、至聖所の中でほえ猛り 自分たちのしるしをしるしとして立てました。
74:5 彼らが木の茂みの中を 斧を携えて上るのが見えると
74:6 ただちに手斧、まさかりを振るって 彫り物の飾りをすべて打ち壊し
74:7 あなたの聖所に火をかけ 御名の置かれた所を地に引き倒して汚しました。
74:8 「すべて弾圧せねばならない」と心に言って この地にある神の会堂をすべて焼き払いました。
74:9 わたしたちのためのしるしは見えません。今は預言者もいません。いつまで続くのかを知る者もありません。
74:10 神よ、刃向かう者はいつまで嘲るのでしょうか。敵は永久にあなたの御名を侮るのでしょうか。
74:11 なぜ、手を引いてしまわれたのですか 右の御手は、ふところに入れられたまま。
74:12 しかし神よ、いにしえよりのわたしの王よ この地に救いの御業を果たされる方よ。
74:13 あなたは、御力をもって海を分け 大水の上で竜の頭を砕かれました。
74:14 レビヤタンの頭を打ち砕き それを砂漠の民の食糧とされたのもあなたです。
74:15 あなたは、泉や川を開かれましたが 絶えることのない大河の水を涸らされました。
74:16 あなたは、太陽と光を放つ物を備えられました。昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです。
74:17 あなたは、地の境をことごとく定められました。夏と冬を造られたのもあなたです。
74:18 主よ、御心に留めてください、敵が嘲るのを 神を知らぬ民があなたの御名を侮るのを。
74:19 あなたの鳩の魂を獣に渡さないでください。あなたの貧しい人々の命を 永遠に忘れ去らないでください。
74:20 契約を顧みてください。地の暗い隅々には 不法の住みかがひしめいています。
74:21 どうか、虐げられた人が再び辱められることなく 貧しい人、乏しい人が 御名を賛美することができますように。
74:22 神よ、立ち上がり 御自分のために争ってください。神を知らぬ者が絶えずあなたを嘲っているのを 御心に留めてください。
74:23 あなたに刃向かう者のあげる声 あなたに立ち向かう者の常に起こす騒ぎを どうか、決して忘れないでください。
ルカ 11:14 イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。
11:15 しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、
11:16 イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。
11:17 しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。
11:18 あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。
11:19 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。
11:20 しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
11:21 強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。
11:22 しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。
11:23 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」
11:24 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。
11:25 そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。
11:26 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」
私たちは、多くの試練や困難に直面する時、「神様、どうかわたしを助けて下さい」と祈る。
もはや自分の力ではどうすることもできないような状況ほど、その傾向は強い。
だからなのか、聖書には、主なる神様が人に試練を与え、それを通して人が神を求めるように導かれていくことも語られている。
そうすると「試練は神が与えたもの」と考えることができる。
一方で、悪霊たちが人間を神から引き離そうと、様々な試練や誘惑をもって攻撃してくることもある。
その目的は、神のもとから人間を引き離し、神の救いの約束から離れ、滅ぼすためであろう。
そうすると、今度は、「試練は悪霊によるもの」と言えなくもない。
一体どちらが本当なのかと思うかもしれないが、試練や困難は、人間の周りに起こる出来事であり、それぞれの目的に応じて神がそれを用いたり、悪霊も利用したりするのであり、試練は神からのものなのか、それとも悪霊によるものなのかといった二者択一のような議論は無意味なものと言える。
重要な事は、その目的であり、その目的へと導かれているかどうかが重要なのである。
聖霊様が働いている所では、たとえ人が試練に出くわしても、主なる神に助けを祈り、状況がどうであろうと祈り続けていくはずである。
しかし、悪霊の働くところでは、人がひとたび試練に出くわすと、一旦は神に助けを祈り求めることがあるかもしれないが、長らく祈り続けてみても、なかなか状況が変わらないのを見て、「本当に神は私を助けてくれるのだろうか?」とか「そもそも神は本当にいるのか?」といったような疑いの気持ちへと唆されていく。
アダムとエバがエデンの園で蛇の誘惑を受けた時もそうである。
蛇は、アダムとエバに神を疑わせるような誘惑で唆してきたのである。
試練や困難な状況は、誰も嬉しいことでないし、一日でも早く、状況がよくなる事を誰もが願っている。
ただ、それと神に祈り続けて行くこととは別の次元で考えておくべきであろう。
私たちは、試練や困難な状況が少しでも改善しますようにと神に祈る。
そして、改善すれば感謝を捧げるが、試練が続くようなら、さらに祈り続けていくだけである。
神様は応えてくれないのではなく、「今はその時ではない」と言われているのかもしれない。
少なくとも、私たちの状況がどのようなものであれ、イエス様の十字架の贖いのゆえに、私たちの救いの事実が揺らぐことはないということを覚え、イエス様の救いの約束の御言葉から離れることなく歩んで行きたいものである。
ローマ5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。