申命記 11:18 あなたたちはこれらのわたしの言葉を心に留め、魂に刻み、これをしるしとして手に結び、覚えとして額に付け、
11:19 子供たちにもそれを教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、語り聞かせ、
11:20 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
11:21 こうして、主が先祖に与えると誓われた土地にあって、あなたたちとあなたたちの子孫の日数は天が地を覆う日数と同様、いつまでも続くであろう。
詩篇 93:1 主こそ王。威厳を衣とし 力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
93:2 御座はいにしえより固く据えられ あなたはとこしえの昔からいます。
93:3 主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。
93:4 大水のとどろく声よりも力強く 海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主。
93:5 主よ、あなたの定めは確かであり あなたの神殿に尊厳はふさわしい。日の続く限り。
マルコ 16:19 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
16:20 一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。
この世界は、全て、主なる神様が御言葉によって創られた。
そして、今もなお、すべ治めておられる。
それは当然、この世界のどこに行っても、そこが神の支配の及ぶ領域であることを物語っている。
ここまでは聖なる世界で、ここから先は世俗の世界といった隔ては存在しない。
もしあるとするなら、人間が勝手に隔ててしまっているのだろう。
それは個人個人の領域でも同じこと。
ここまでは聖なる領域だけど、ここからは自分だけの世界といったことはない。
どんな領域にも主なる神様は共におられるし、我々を見守っておられる。
そういった領域での我々の生き様は、きっと神様を悲しませていることだろうと思うが、それでも見捨てられることなく、神のもとに立ち返ってくるのを忍耐強く待っておられるのだろう。
黙示録3:20 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
もし神様の御前に戸を設け、誰にも見せたくないような、誰にも知られたくないような領域を隠し持っているのなら、そこにも神様に入って来て頂こう。
そうすれば、きっと、驚くほどの平安に満たされるであろうから。