ホセア 5:15 わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め 苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで。
6:1 「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし 我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
6:2 二日の後、主は我々を生かし 三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。
6:3 我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。」
6:4 エフライムよ わたしはお前をどうしたらよいのか。ユダよ、お前をどうしたらよいのか。お前たちの愛は朝の霧 すぐに消えうせる露のようだ。
6:5 それゆえ、わたしは彼らを 預言者たちによって切り倒し わたしの口の言葉をもって滅ぼす。わたしの行う裁きは光のように現れる。
6:6 わたしが喜ぶのは 愛であっていけにえではなく 神を知ることであって 焼き尽くす献げ物ではない。
詩篇 150:1 ハレルヤ。聖所で神を賛美せよ。大空の砦で神を賛美せよ。
150:2 力強い御業のゆえに神を賛美せよ。大きな御力のゆえに神を賛美せよ。
150:3 角笛を吹いて神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて神を賛美せよ。
150:4 太鼓に合わせて踊りながら神を賛美せよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて神を賛美せよ。
150:5 シンバルを鳴らし神を賛美せよ。シンバルを響かせて神を賛美せよ。
150:6 息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。
2ヨハネ 1:1 長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ。わたしは、あなたがたを真に愛しています。わたしばかりでなく、真理を知っている人はすべて、あなたがたを愛しています。
1:2 それは、いつもわたしたちの内にある真理によることで、真理は永遠にわたしたちと共にあります。
1:3 父である神と、その父の御子イエス・キリストからの恵みと憐れみと平和は、真理と愛のうちにわたしたちと共にあります。
1:4 あなたの子供たちの中に、わたしたちが御父から受けた掟どおりに、真理に歩んでいる人がいるのを知って、大変うれしく思いました。
1:5 さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。
1:6 愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。
ホセア書におけるイスラエルの民の悔い改めの言葉は、どことなく表面的で、一時的な悔い改めのような印象を受ける。
そして、主なる神様は、必ずイスラエルの民を救ってくれるという、根拠のない確信を持っているかのような、やや、安易な神への信仰の姿が見え隠れしている。
主なる神様が必ず救って下さることには間違いないが、その根拠がどこにあるのかと言えば、神が御子キリストの命を犠牲として十字架にかけられて、我々の全ての罪を贖って下さったところにある。
神の御子、イエス様の尊い命と引き換えに、私たちは罪赦され、救われるのである。
その大きな愛と憐れみのゆえに与えられた恵みだからこそ、救われた我々もまた尊い存在なのである。
このことを知っていることこそが、真理を知るということであり、神の大きな愛と犠牲によって神に贖われた者、買い取られた者として生きていくことが我々の使命でもある。
今日出会う全ての人のためにも、主なる神様は、御子イエス様の命をかけた愛で愛しておられる。
そのことを覚えて、今日出会う方々との交わりも祝されたものとなることを願う。