民数記 20:22 イスラエルの人々、その共同体全体はカデシュを旅立って、ホル山に着いた。
20:23 ホル山はエドム領との国境にあり、ここで、主はモーセとアロンに言われた。
20:24 「アロンは先祖の列に加えられる。わたしがイスラエルの人々に与える土地に、彼は入ることができない。あなたたちがメリバの水のことでわたしの命令に逆らったからだ。
20:25 アロンとその子エルアザルを連れてホル山に登り、
20:26 アロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せなさい。アロンはそこで死に、先祖の列に加えられる。」
20:27 モーセは主が命じられたとおりにした。彼らは、共同体全体の見守る中をホル山に登った。
20:28 モーセはアロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せた。アロンはその山の上で死んだ。モーセとエルアザルが山を下ると、
20:29 共同体全体はアロンが息を引き取ったのを悟り、イスラエルの全家は三十日の間、アロンを悼んで泣いた。

詩篇 107:1 「恵み深い主に感謝せよ 慈しみはとこしえに」と
107:2 主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い
107:3 国々の中から集めてくださった 東から西から、北から南から。

107:17 彼らは、無知であり、背きと罪の道のために 屈従する身になった。
107:18 どの食べ物も彼らの喉には忌むべきもので 彼らは死の門に近づいた。
107:19 苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと 主は彼らの苦しみに救いを与えられた。
107:20 主は御言葉を遣わして彼らを癒し 破滅から彼らを救い出された。
107:21 主に感謝せよ。主は慈しみ深く 人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
107:22 感謝のいけにえをささげ 御業を語り伝え、喜び歌え。

ヨハネ 3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。
3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。
3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。
3:13 天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。

アロンは、全ての人が歩むべき道と同じように、その生涯を閉じた。
そして、彼の祭司としての務めは、彼の息子エルアザルが受け継ぐことになる。
子どもが成長し、やがて親の家業を引き継いでいくといったことは、どこの世界でも同じように行われていることであろう。
しかし、子どもは親のコピーではない。
名前を受け継ぐことはあるかもしれないが、それでも子供は親とは違うし、親の所有物でもない。
しかし、心のどこかで親は自分の子どもを自分のもののように思っているかもしれないし、それゆえに、子どももまた、自分は親の後を受け継がなければならないなどと考えてしまうのかもしれない。
本当は一人一人違うのだし、受け継ぐべきこととそうでもないことを混同し、必死に受け継がなければならないと思い込んでいるのかもしれない。
自分が親になってみて、ますますそんな風に思うようになった。
子どもは親の言いなりに育ててはいけないし、子どもたちには子どもたちの意思があり、自由があり、決断していく責任が本人ある。
もちろん、親の生き方を見て、そこから学んだことがあるのなら、それは大切にしていって欲しいと思うけれど、それとて強制ではない。
大切なことは、一人一人に命を与え、この世に生かして下さった神を知り、その方によって生かされていることを覚えつつ、生きていくことであり、それこそが、本当の意味での生まれかわりと言えるのではないだろうか。
子どもは親の生まれ変わりではない。
一人一人が神と出会い、新たに変えられていく。
子ども達には、そういう生き方を自ら選んでいって欲しいものである。

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