申命記 12:28 わたしが命じるこれらのことをすべて聞いて守りなさい。こうして、あなたの神、主が良しとし、正しいと見なされることを行うなら、あなたも子孫もとこしえに幸いを得る。
12:29 あなたが行って追い払おうとしている国々の民を、あなたの神、主が絶やされ、あなたがその領土を得て、そこに住むようになるならば、
12:30 注意して、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らに従って罠に陥らないようにしなさい。すなわち、「これらの国々の民はどのように神々に仕えていたのだろう。わたしも同じようにしよう」と言って、彼らの神々を尋ね求めることのないようにしなさい。
12:31 あなたの神、主に対しては彼らと同じことをしてはならない。彼らは主がいとわれ、憎まれるあらゆることを神々に行い、その息子、娘さえも火に投じて神々にささげたのである。
13:1 あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。

詩篇 111:1 ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる 正しい人々の集い、会衆の中で。
111:2 主の御業は大きく それを愛する人は皆、それを尋ね求める。
111:3 主の成し遂げられることは栄え輝き 恵みの御業は永遠に続く。
111:4 主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み
111:5 主を畏れる人に糧を与え 契約をとこしえに御心に留め
111:6 御業の力を御自分の民に示し 諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる。
111:7 御手の業はまことの裁き 主の命令はすべて真実
111:8 世々限りなく堅固に まことをもって、まっすぐに行われる。
111:9 主は御自分の民に贖いを送り 契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。
111:10 主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。

黙示録 2:12 ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる。
2:13 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
2:14 しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。
2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる。
2:16 だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。
2:17 耳ある者は、”霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」』

ペルガモという町は、交易の盛んな海沿いの町とは違い、少し内陸にあった町で、政治と文化の町、そして、偶像礼拝の盛んな町であったと言われている。
偶像の神を祭る壮大な神殿があったり、他にもローマ皇帝を崇拝する神殿も建てられていたようである。
そのような町にあっては、イエス・キリストを救い主として信じる者は、激しい迫害にあったであろうし、実際に命を落とした者がいたことも記されている。
それでもペルガモの町に住むクリスチャンたちは、偶像礼拝とも果敢に戦い、信仰の生涯を守ろうとしていたことであろう。
しかし、偶像礼拝とまではいかないまでも、知らないうちに、偶像礼拝の生活習慣の中に取り込まれてしまうようなことがあったのだろう。
偶像に捧げた肉を食べたり、みだらなことを行う者もいたということが語られている。
クリスチャンに対する迫害は、イエス・キリストを否定するものであり、ある意味、分かりやすい。
しかし、表立ってキリスト教を否定していなくても、間接的にキリストの十字架を無意味にしようとするものはこの世には多く、知らないうちに人はそうした誘惑に引きずられていくのである。
ある人は仕事で忙しかったり、他の人は遊びに忙しかったり、人は幾らでも神のもとに立ち返ろうとしない正当な理由を探してきて、神から離れて行こうとする。
聖書を読んだり、礼拝に出かけたり、奉仕をしたりする時間は無くても、他の事をする時間はあるのである。
ペルガモは、文化的な町であったというが、現代のように様々な文化が入り乱れ、何が何だか分からないほどにモノや情報にあふれた世界では、人はまっすぐに神だけを見上げて生きることは非常に難しいのかもしれない。
けれど、主なる神は「あなたに対して少しばかり言うべきことがある」と仰せられる。
自分が何を求め、どこへ向かおうとしているのか、今一度じっくりと考え、神と向き合い、悔い改め、本当に幸いな人生とはどういう生き方なのかということを見極めながら、歩んで行きたいものである。

Write a comment:

Your email address will not be published.