エレミヤ 20:14 呪われよ、わたしの生まれた日は。母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない。
20:15 呪われよ、父に良い知らせをもたらし あなたに男の子が生まれたと言って 大いに喜ばせた人は。
20:16 その人は、憐れみを受けることなく 主に滅ぼされる町のように 朝には助けを求める叫びを聞き 昼には鬨の声を聞くであろう。
20:17 その日は、わたしを母の胎内で殺さず 母をわたしの墓とせず はらんだその胎を そのままにしておかなかったから。
20:18 なぜ、わたしは母の胎から出て労苦と嘆きに遭い 生涯を恥の中に終わらねばならないのか。
詩篇 62:6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。
62:7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。
62:8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
62:9 民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。
62:10 人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。
62:11 暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。
62:12 ひとつのことを神は語り ふたつのことをわたしは聞いた 力は神のものであり
62:13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と ひとりひとりに、その業に従って あなたは人間に報いをお与えになる、と。
ルカ 10:13 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
10:14 しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。
10:15 また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。
10:16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
誰にでも、生きていること自体が辛くなることもあるだろう。
ことに、この一年、コロナの問題で多くの人が生きる希望を失い、自ら命を絶った人も増えているらしい。
世界を憂い、周囲を恐れ、そして自分の存在を否定したくなるのは分からないでもない。
けれど、神は我々一人一人を創り、今も全てをご覧になっている。
そして、御子イエス・キリストの命を差し出してまでも、滅んでほしくないと願われている。
どうか、少しでもそのことを、一人でも多くの人に知って欲しいと願う。
すぐには生きることの辛さが無くなるわけではないかもしれないが、少なくとも希望はある。
世界中の全ての人に嫌われたとしても、神様だけは決して見捨てない。
そのことを覚えて、困難な時代であろうと、嘆きつつ、祈りつつ、救われた者として神に見守られつつ、歩んで行きたいものである。