士師記 2:16 主は士師たちを立てて、彼らを略奪者の手から救い出された。
2:17 しかし、彼らは士師たちにも耳を傾けず、他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した。彼らは、先祖が主の戒めに聞き従って歩んでいた道を早々に離れ、同じように歩もうとはしなかった。
2:18 主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。
2:19 その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった。
2:20 主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた。「この民はわたしが先祖に命じたわたしの契約を破り、わたしの声に耳を傾けなかったので、
2:21 ヨシュアが死んだときに残した諸国の民を、わたしはもうこれ以上一人も追い払わないことにする。
2:22 彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見るためである。」
2:23 主はこれらの諸国の民をそのままとどまらせ、すぐ追い払うことはなさらなかった。彼らをヨシュアの手に渡すこともなさらなかった。

詩篇 139:1  指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。 主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
139:2 座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
139:3 歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。
139:4 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。
139:5 前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。
139:6 その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。
139:17 あなたの御計らいは わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
139:18 数えようとしても、砂の粒より多く その果てを極めたと思っても わたしはなお、あなたの中にいる。

使徒 13:16 そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。
13:17 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。
13:18 神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、
13:19 カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。
13:20 これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。
13:21 後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、
13:22 それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』
13:23 神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。
13:24 ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。
13:25 その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』

本日の日課は、テキストを見間違えていたので、昨日の箇所。

士師記のテキストには、士師記において語られている事柄のアウトラインと言うか、要旨が完結にまとめられていると言えよう。
これから始まる様々な士師たちの活躍についた、まず最初に簡単な要旨が語られていると、その語られる事柄の本当の意味がどこにあるのか理解しやすい助けとなる。
そして、使徒13章においてパウロが語っている内容は、旧約聖書におけるイスラエルの歴史を簡潔にまとめたものであると言え、彼の説教を通して、神がイスラエルの民を導き、用いようとされた歴史を概観することができるのである。
聖書には、ところどころこうした記述がみられ、私たちの聖書に対する理解を助けてくれる。
実に、教会で語られる説教などもそういう類のものと言えるだろう。
語られる内容は、様々な要素を含んでおり、いつも同じ話がなされるわけではないかもしれない。
けれど、その意図は、聞く人たちが少しでも聖書を理解し、神の御業を知り、そして、救いの恵みに与るようになることにある。
たまに、枝葉末節を取り上げて説教を批判する人や、通り越して語る者と否定する人もいるが、語られている説教全体を俯瞰して聞くことが大切であろう。
なぜそれが語られるのか、話し全体の流れがどこに向かっているのか、そういう意味では、説教題を見るのも参考になる。
本当は、毎週の説教題が「神は愛である」とか「神はあなたを愛している」とかでも良いが、士師記と使徒言行録の内容がそれぞれに意味があることを思う時、一つ一つの話が違っていても良いし、個性の異なる説教者がいても良いし、神のなさる豊かさの一つとして、バラエティを味わいたいものである。

ちなみに、私たちの教会は「福音ルーテル教会」と名乗っているため、ルター派の福音的な教会らしく、神の恵みにより、行いによるのではなく信仰による救いの約束が語られていくことを大事にしていきたい。

エフェソ 2:1 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
2:2 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
2:3 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
2:4 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、
2:5 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――
2:6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
2:7 こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。
2:8 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
2:9 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。

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