列王記下 2:9 渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。」エリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と言った。
2:10 エリヤは言った。「あなたはむずかしい願いをする。わたしがあなたのもとから取り去られるのをあなたが見れば、願いはかなえられる。もし見なければ、願いはかなえられない。」
2:11 彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。
2:12 エリシャはこれを見て、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。
2:13 エリヤの着ていた外套が落ちて来たので、彼はそれを拾い、ヨルダンの岸辺に引き返して立ち、
2:14 落ちて来たエリヤの外套を取って、それで水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言った。エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、彼は渡ることができた。
2:15 エリコの預言者の仲間たちは目の前で彼を見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言い、彼を迎えに行って、その前で地にひれ伏した。
2:16 彼らはエリシャに言った。「御覧ください。僕たちのところに五十人の戦士がいます。彼らにあなたの主人を捜しに行かせてください。主の霊は彼を運び去り、どこかの山か谷に投げ落としたかもしれません。」しかしエリシャは、「行かせてはならない」と答えた。
2:17 彼らがあまりにもしつこく願ったので、「行かせなさい」と言うと、彼らは五十人を送り出して三日間エリヤを捜させたが、見つけることができず、
2:18 エリコにいるエリシャのもとに帰って来た。エリシャは、「行くなと言ったではないか」と言った。
2:19 この町の人々はエリシャのところに来て、「御覧のように、この町は住むには良いのですが、水が悪く、土地は不毛です」と訴えた。
2:20 彼は、「新しい器を持って来て、それに塩を入れなさい」と命じた。人々が持って来ると、
2:21 彼は水の源に出かけて行って塩を投げ込み、「主はこう言われる。『わたしはこの水を清めた。もはやここから死も不毛も起こらない』」と言った。
2:22 エリシャの告げた言葉のとおり、水は清くなって今日に至っている。

詩篇 125:1  都に上る歌。 主に依り頼む人は、シオンの山。揺らぐことなく、とこしえに座る。
125:2 山々はエルサレムを囲み 主は御自分の民を囲んでいてくださる 今も、そしてとこしえに。
125:3 主に従う人に割り当てられた地に 主に逆らう者の笏が置かれることのないように。主に従う人が悪に手を伸ばすことのないように。
125:4 主よ、良い人、心のまっすぐな人を 幸せにしてください。
125:5 よこしまな自分の道にそれて行く者を 主よ、悪を行う者と共に追い払ってください。イスラエルの上に平和がありますように。

使徒 3:17 ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。
3:18 しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。
3:19 だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
3:20 こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。
3:21 このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。
3:22 モーセは言いました。『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え。
3:23 この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。』
3:24 預言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、今の時について告げています。
3:25 あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われました。
3:26 それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」
4:1 ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。
4:2 二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、
4:3 二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。
4:4 しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。

ペテロは、イスラエルの民が捕らえて殺したイエス様こそ、聖書において長きにわたって預言されてきたメシア(救い主)であることを語り、イスラエルの民は、常に預言者らを通して語られる神の御言葉と共に生きてきたことを述べている。
イスラエルの民は、いつも神の御声に聞いては背き、立ち返ってはまた背き、何度も同じような過ちを繰り返してきた。
しかし、主なる神様は、常に預言者を送り、彼らに語り続けてきたのである。
いったい、どれだけの年数を経てきたことであろうか。
何度も何度も背いては悔い改めを繰り返し、普通なら、あきれて突き放して終わりである。
けれども、主なる神様は、変わることのない永遠の愛で、いつもイスラエルの民が悔い改めて神のみもとに立ち返ることを願い、あきらめずに語りかけ続けてきたのである。
その同じ神が私たちにも聖書の御言葉を通して語りかけて下さる。
何度も何度も背いては神様を悲しませてきたに違いない。
それでも、今もなお、主なる神様は、優しい眼差しで私たちを見守り続けて下さる。
もちろん、そこに、イエス様の大きな犠牲があったことを忘れてはならない。
私たちの背きの罪のために捧げられた神の子の命の犠牲により、今日も変わらぬ愛を受けているのである。

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