イザヤ 4:2 その日には、イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。
4:3 そしてシオンの残りの者、エルサレムの残された者は、聖なる者と呼ばれる。彼らはすべて、エルサレムで命を得る者として書き記されている。
4:4 主は必ず、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めてくださる。
4:5 主は、昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造って、シオンの山の全域とそこで行われる集会を覆われる。それはそのすべてを覆う栄光に満ちた天蓋となる。
4:6 昼の暑さを防ぐ陰、嵐と雨を避ける隠れ場として、仮庵が建てられる。
詩篇 27:1 ダビデの詩。 主はわたしの光、わたしの救い わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦 わたしは誰の前におののくことがあろう。
27:2 さいなむ者が迫り わたしの肉を食い尽くそうとするが わたしを苦しめるその敵こそ、かえって よろめき倒れるであろう。
27:3 彼らがわたしに対して陣を敷いても わたしの心は恐れない。わたしに向かって戦いを挑んで来ても わたしには確信がある。
27:4 ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを。
27:5 災いの日には必ず、主はわたしを仮庵にひそませ 幕屋の奥深くに隠してくださる。岩の上に立たせ
27:6 群がる敵の上に頭を高く上げさせてくださる。わたしは主の幕屋でいけにえをささげ、歓声をあげ 主に向かって賛美の歌をうたう。
27:7 主よ、呼び求めるわたしの声を聞き 憐れんで、わたしに答えてください。
27:8 心よ、主はお前に言われる 「わたしの顔を尋ね求めよ」と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。
27:9 御顔を隠すことなく、怒ることなく あなたの僕を退けないでください。あなたはわたしの助け。救いの神よ、わたしを離れないでください 見捨てないでください。
27:10 父母はわたしを見捨てようとも 主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます。
27:11 主よ、あなたの道を示し 平らな道に導いてください。わたしを陥れようとする者がいるのです。
27:12 貪欲な敵にわたしを渡さないでください。偽りの証人、不法を言い広める者が わたしに逆らって立ちました。
27:13 わたしは信じます 命あるものの地で主の恵みを見ることを。
27:14 主を待ち望め 雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。
使徒 11:1 さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。
11:2 ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、
11:3 「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。
11:4 そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。
11:5 「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。
11:6 その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。
11:7 そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、
11:8 わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』
11:9 すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。
11:10 こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。
11:11 そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。
11:12 すると、”霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。
11:13 彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。
11:14 あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』
11:15 わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。
11:16 そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。
11:17 こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」
11:18 この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。
私たちが集う教会は、礼拝出席者が30名ほど。
ここ数年、何度か人が増えそうな時期もあったが、不思議と、新しい人が増えると、今まで来ていた人が来なくなったり、なぜか、ほぼ一定に保たれている。
今年はコロナの影響もあり、ご高齢の方やご病気を患っている方、仕事上来れない方など、礼拝に集うことのできない人の数も増えたが、不思議なもので、新たに集われる方が与えられたりもしている。
なんとか毎週の礼拝が守れるように、神が人を送って下さったように思う。
30人ほどの群れなので、組織だてて幾つかのグループに分けるほどでもなく、こじんまりと、共に礼拝の恵みに与っている。
大きな事や、働きの場を広げていくほどのことはできない。
礼拝を守る事でやっとの感じである。
けれど、それで良いのだろう。
何もできなくても、聖書の御言葉を中心に神を礼拝する群れとして集うことができているのなら、それで十分だし、それこそが本当に大切なことであろうと思う。
今日もこの群れを愛し導いて下さる主に感謝。