ホセア 6:1 「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし 我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
6:2 二日の後、主は我々を生かし 三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。
6:3 我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。」
6:4 エフライムよ わたしはお前をどうしたらよいのか。ユダよ、お前をどうしたらよいのか。お前たちの愛は朝の霧 すぐに消えうせる露のようだ。
6:5 それゆえ、わたしは彼らを 預言者たちによって切り倒し わたしの口の言葉をもって滅ぼす。わたしの行う裁きは光のように現れる。
6:6 わたしが喜ぶのは 愛であっていけにえではなく 神を知ることであって 焼き尽くす献げ物ではない。

詩篇 85:2 主よ、あなたは御自分の地をお望みになり ヤコブの捕われ人を連れ帰ってくださいました。
85:3 御自分の民の罪を赦し 彼らの咎をすべて覆ってくださいました。
85:9 わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます 御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に 彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
85:10 主を畏れる人に救いは近く 栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。
85:11 慈しみとまことは出会い 正義と平和は口づけし
85:12 まことは地から萌えいで 正義は天から注がれます。
85:13 主は必ず良いものをお与えになり わたしたちの地は実りをもたらします。
85:14 正義は御前を行き 主の進まれる道を備えます。

1テサロニケ 1:2 わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。
1:3 あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。
1:4 神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。
1:5 わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
1:6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、
1:7 マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。
1:8 主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。
1:9 彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、
1:10 更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。

今の時代を生きる人々は、これまでとは全く違う世界を生きていると言えるかもしれない。
人と人が顔と顔とを合わせて語りあう事が難しい時代、どんどん人の心が蝕まれていく。
お互いに疑心暗鬼になり、酷い暴言をはく者もいる。
正直、生きて行くことすら辛く感じる時もあるだろう。
けれど、そのような時こそ、人の生きざまが問われてくるし、その人の本性が顕わになっていくのだろう。
神の慈しみと憐れみを受け、命と救いの約束を頂いたものは、少しでも誰かの助けや励みになることはないかと心を配るだろうし、できることが制限されていても、祈ることで誰かをサポートしてあげたいと思うだろう。
愛された人は、愛するようになる、ということであろ。
あるいは、自分は愛されていないのではないか、と思う人がいるならば、愛の神のもとに立ち返ると良い。
イエス様は、いつでも十字架の御業をもって「私はあなたを愛している。あなたを救った」と語りかけている。
この方のもとに立ち返ろう。
そして、どれだけ愛されているかということを思い出し、神と人とを愛する者となれるように、常に御言葉に聞き続けていきたいものである。

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