ミカ 4:6 その日が来れば、と主は言われる。わたしは足の萎えた者を集め 追いやられた者を呼び寄せる。わたしは彼らを災いに遭わせた。
4:7 しかし、わたしは足の萎えた者を 残りの民としていたわり 遠く連れ去られた者を強い国とする。シオンの山で、今よりとこしえに 主が彼らの上に王となられる。
4:8 羊の群れを見張る塔よ、娘シオンの砦よ かつてあった主権が、娘エルサレムの王権が お前のもとに再び返って来る。
4:9 今、なぜお前は泣き叫ぶのか。王はお前の中から絶たれ 参議たちも滅び去ったのか。お前は子を産む女のように 陣痛に取りつかれているのか。
4:10 娘シオンよ 子を産む女のように、もだえて押し出せ。今、お前は町を出て、野に宿らねばならない。だが、バビロンにたどりつけば そこで救われる。その地で、主がお前を敵の手から贖われる。
4:11 今、多くの国々の民がお前に敵対して集まり 「シオンを汚し、この目で眺めよう」と 言っている。
4:12 だが、彼らは主の思いを知らず その謀を悟らない。主が彼らを麦束のように 打ち場に集められたことを。
4:13 娘シオンよ、立って、脱穀せよ。わたしはお前の角を鉄とし お前のひづめを銅として 多くの国々を打ち砕かせる。お前は不正に得た彼らの富を、主に 蓄えた富を、全世界の主にささげる。

詩篇 79:1  賛歌。アサフの詩。 神よ、異国の民があなたの嗣業を襲い あなたの聖なる神殿を汚し エルサレムを瓦礫の山としました。
79:2 あなたの僕らの死体を空の鳥の餌とし あなたの慈しみに生きた人々の肉を 地の獣らの餌としました。
79:3 彼らは、エルサレムの周囲に この人々の血を水のように流します。葬る者もありません。
79:4 わたしたちは近隣の民に辱められ 周囲の民に嘲られ、そしられています。
79:5 主よ、いつまで続くのでしょう。あなたは永久に憤っておられるのでしょうか。あなたの激情は火と燃え続けるのでしょうか。
79:6 御怒りを注いでください あなたを知ろうとしない異国の民の上に あなたの御名を呼び求めない国々の上に。
79:7 彼らはヤコブを食いものにし その住みかを荒廃させました。
79:8 どうか、わたしたちの昔の悪に御心を留めず 御憐れみを速やかに差し向けてください。わたしたちは弱り果てました。
79:9 わたしたちの救いの神よ、わたしたちを助けて あなたの御名の栄光を輝かせてください。御名のために、わたしたちを救い出し わたしたちの罪をお赦しください。
79:10 どうして異国の民に言わせてよいでしょうか 「彼らの神はどこにいる」と。あなたの僕らの注ぎ出された血に対する報復を 異国の民の中で、わたしたちが 目の前に見ることができますように。
79:11 捕われ人の嘆きが御前に届きますように。御腕の力にふさわしく 死に定められている人々を 生き長らえさせてください。
79:12 主よ、近隣の民のふところに あなたを辱めた彼らの辱めを 七倍にして返してください。
79:13 わたしたちはあなたの民 あなたに養われる羊の群れ。とこしえに、あなたに感謝をささげ 代々に、あなたの栄誉を語り伝えます。

黙示録 18:1 その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた。
18:2 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
18:3 すべての国の民は、怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、地上の商人たちは、彼女の豪勢なぜいたくによって富を築いたからである。」
18:4 わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。
18:5 彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである。
18:6 彼女がしたとおりに、彼女に仕返しせよ、彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に、その倍も注いでやれ。
18:7 彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』
18:8 それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」
18:9 彼女とみだらなことをし、ぜいたくに暮らした地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を見て、そのために泣き悲しみ、
18:10 彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立ってこう言う。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、強大な都バビロン、お前は、ひとときの間に裁かれた。」

富と欲望にかられ、贅沢と快楽にひたって生きていた者たちにとって、終わりの時は悲惨であろうし、受け入れがたいものとなるだろう。
しかし、虐げられ、略奪され、貧しさと困難の中に生きてきた者たちにとっては、終わりの時は解放の時、喜びの時と言える。
もちろん、困窮することは誰にとっても好ましいことではないが、贅沢に生きてきた人たちが生活を改めていくことは非常に困難であろうと思う。
罪を悔い改めることもそれに似ているかもしれない。
贅沢を極め、快楽に溺れていたような人は、なかなか悔い改めることができない。
それらを捨てるのが惜しいからである。
けれど、いくら富を蓄えていても、それが人を救う事はない。
むしろ、それによって救い主が見えなくなり、やがて滅びへと進んでいくだけである。
主なる神様は、私たちを「豊かな生き方」に生きるように創造され、そのような生き方に立ち返るよう救って下さった。
富と快楽に溺れる人は、自分にとって利益となることだけを追い求めていくけれども、本当に豊かな人は、他者への配慮を忘れず、愛に根差した生き方を模索していくだろう。
もし、そのような神の意図された本来の人としての生き方を逸脱しようとしていることに気が付いたなら、そこから悔い改めて、正しい道へと立ち返るように努めて行きたい。
他人のことはその人が決めることであって、我々にはどうにもできないことも多いが、自分自身の生き方を見つめなおし、悔い改め、立ち返ることならできないことではない。
キリストが命をかけて愛し、救って下さった、この豊かで幸いな人生を歩んでいきたいものである。

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