ゼカリヤ 1:7 ダレイオスの第二年十一月、シェバトの月の二十四日に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。
1:8 「その夜、わたしは見た。ひとりの人が赤毛の馬に乗って、谷底のミルトスの林の中に立っているではないか。その後ろには、赤毛の馬、栗毛の馬、白い馬がいた。
1:9 わたしが、『わが主よ、これは何ですか』と尋ねると、ひとりの御使いがわたしに語りかけ、『それが何なのか、教えよう』と言った。
1:10 すると、ミルトスの林の中に立っている人が答えて、『これらは地上を巡回させるため、主がお遣わしになったものだ』と言った。
1:11 彼らはミルトスの林の中に立っている主の御使いに向かって答えた。『わたしたちは地上を巡回して来ました。地上の人々はすべて安らかに暮らしています。』
1:12 それに答えて、主の御使いは言った。『万軍の主よ、いつまでエルサレムとユダの町々を憐れんでくださらないのですか。あなたの怒りは七十年も続いています。』
1:13 わたしに語りかけた御使いに、主は優しい言葉、慰めの言葉をもって答えられた。
1:14 わたしに語りかけた御使いはわたしに言った。『呼びかけて言え、万軍の主はこう言われる。わたしはエルサレムとシオンに 激しい情熱を傾け
1:15 安穏にしている諸国の民に対して激しく怒る。わたしはわずかに怒っただけだが 彼らはそれに乗じて災いをもたらした。
1:16 それゆえ、主はこう言われる。わたしは憐れみをもってエルサレムに帰り わが家をそこに建て直させると 万軍の主はこう言われる。エルサレムには、測り縄が張られる。
1:17 再び、呼びかけて言え。万軍の主はこう言われる。わたしの町々は再び恵みで溢れ 主はシオンを再び慰め エルサレムを再び選ばれる。』」

詩篇 9:2 わたしは心を尽くして主に感謝をささげ 驚くべき御業をすべて語り伝えよう。
9:3 いと高き神よ、わたしは喜び、誇り 御名をほめ歌おう。
9:4 御顔を向けられて敵は退き 倒れて、滅び去った。
9:5 あなたは御座に就き、正しく裁き わたしの訴えを取り上げて裁いてくださる。
9:6 異邦の民を叱咤し、逆らう者を滅ぼし その名を世々限りなく消し去られる。
9:7 敵はすべて滅び、永遠の廃虚が残り あなたに滅ぼされた町々の記憶も消え去った。
9:8 主は裁きのために御座を固く据え とこしえに御座に着いておられる。
9:9 御自ら世界を正しく治め 国々の民を公平に裁かれる。
9:10 虐げられている人に 主が砦の塔となってくださるように 苦難の時の砦の塔となってくださるように。
9:11 主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。
9:12 シオンにいます主をほめ歌い 諸国の民に御業を告げ知らせよ。
9:13 主は流された血に心を留めて それに報いてくださる。貧しい人の叫びをお忘れになることはない。
9:14 憐れんでください、主よ 死の門からわたしを引き上げてくださる方よ。御覧ください わたしを憎む者がわたしを苦しめているのを。
9:15 おとめシオンの城門で あなたの賛美をひとつひとつ物語り 御救いに喜び躍ることができますように。

ローマ 2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
2:2 神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
2:3 このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
2:4 あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
2:5 あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。
2:6 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
2:7 すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、
2:8 反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。
2:9 すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、
2:10 すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
2:11 神は人を分け隔てなさいません。

神は公平なお方である。
誰にも等しく恵まれるし、同時に裁きもなさる。
私だけは神の裁きを免れるはずだなどと思ってはならない。
神は裁かれる。
徹底的に裁かれる。
息の根を止めるほど、二度と立ち直れないほど完膚無きまでに裁かれる。
けれど、そこに新たな命が与えられるのだ。
まだ少しでも生き永らえる可能性が残った状態からの復活ではない。
人は完全に死を迎え、骨だけの灰となり、そこには命の欠片も微塵もかんじられないが、主なる神は、その人を復活させる。
神様のなさる御業は、1%でも可能性がある中からの復活ではなく、まさに0%から、何もないところから永遠の命を与えて下さる。
そう信じて、自分の力にではなく、主に期待しつつ歩んで行きたいものである。

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