哀歌 2:13 おとめエルサレムよ あなたを何にたとえ、何の証しとしよう。おとめシオンよ あなたを何になぞらえて慰めよう。海のように深い痛手を負ったあなたを 誰が癒せよう。
2:14 預言者はあなたに託宣を与えたが むなしい、偽りの言葉ばかりであった。あなたを立ち直らせるには 一度、罪をあばくべきなのに むなしく、迷わすことを あなたに向かって告げるばかりであった。
2:15 道行く人はだれもかれも 手をたたいてあなたを嘲る。おとめエルサレムよ、あなたに向かって 口笛を吹き、頭を振ってはやしたてる 「麗しさの極み、全地の喜びと たたえられた都がこれか」と。
2:16 敵は皆、あなたに向かって大口を開け 歯をむき、口笛を吹き、そして言う 「滅ぼし尽くしたぞ。ああ、これこそ待ちに待った日だ。たしかに見届けた」と。
2:17 主は計画したことを実現し 約束したことを果たされる方。昔、命じておかれたところのゆえに あなたを破壊し、容赦されなかった。敵はそのあなたを見て喜び あなたを苦しめる者らは角を上げる。

詩篇 5:1  指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。 
5:2 主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください。
5:3 わたしの王、わたしの神よ 助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります。
5:4 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て あなたを仰ぎ望みます。
5:5 あなたは、決して 逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず
5:6 誇り高い者は御目に向かって立つことができず 悪を行う者はすべて憎まれます。
5:7 主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし 流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。
5:8 しかしわたしは、深い慈しみをいただいて あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し あなたを畏れ敬います。
5:9 主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き まっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。
5:10 彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで 喉は開いた墓、腹は滅びの淵。
5:11 神よ、彼らを罪に定め そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。
5:12 あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ あなたによって喜び誇ります。
5:13 主よ、あなたは従う人を祝福し 御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

使徒 13:1 アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。
13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
13:3 そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
13:4 聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、
13:5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。
13:6 島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。
13:7 この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。
13:8 魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。
13:9 パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、
13:10 言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。
13:11 今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
13:12 総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。

いつの時代にも、偽りの預言を語る者はいる。
彼らは、真の神に聞いた言葉を語るのではなく、己の欲や都合を優先し、自分自身の保身のために語ろうとする。
なので、真の預言者とは対立することになるし、時には攻撃者、迫害者ともなるのであろう。
真の預言者の側からすれば、理不尽な理由で迫害されたりすれば、忌々しいことではあるが、考えようによっては、彼らの真意は自分たちの立場を守るためであり、真の預言者自体が悪いわけではない。
むしろ、真実を語っているがゆえに妬まれることや、いやがらせを受けたりすることもあるのだということを思えば、ある程度はやむを得ないことなのだと言えるのかもしれない。
もちろん、限度というものはあるが、迫害されることもあるということは、それだけ真実を語る預言者であるという証なのかもしれない。
今のところ、表立って迫害されるようなことにはなっていないが、仮に、迫害の中に置かれ、迫害恐れて真実を語る事をやめてしまうならば、永遠に真実は損なわれることになってしまうだろう。
どんな状況になろうと、預言者は語り続けることが大切である。

これから先、世界がどうなっていくのか分からないが、これからも真実を語り続けていくことができるように、できる限り、聖書に書かれたことだけを語ることに努めていきたいものである。

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