エレミヤ 5:18 「そのときですら」と主は言われる。「わたしはお前たちを滅ぼし尽くしはしない。」
5:19 「何故、我々の主なる神はこのようなことを我々にされたのか」と言うなら、あなたはこう答えよ。「あなたたちはわたしを捨て、自分の国で異教の神々に仕えた。そのように、自分のものではない国で他国民に仕えねばならない。」
5:20 これをヤコブの家に告げ、ユダに知らせよ。
5:21 「愚かで、心ない民よ、これを聞け。目があっても、見えず 耳があっても、聞こえない民。
5:22 わたしを畏れ敬いもせず わたしの前におののきもしないのかと 主は言われる。わたしは砂浜を海の境とした。これは永遠の定め それを越えることはできない。波が荒れ狂っても、それを侵しえず とどろいても、それを越えることはできない。
5:23 しかし、この民の心はかたくなで、わたしに背く。彼らは背き続ける。
5:24 彼らは、心に思うこともしない。『我々の主なる神を畏れ敬おう 雨を与える方、時に応じて 秋の雨、春の雨を与え 刈り入れのために 定められた週の祭りを守られる方を』と。
5:25 お前たちの罪がこれらを退け お前たちの咎が恵みの雨をとどめたのだ。」
5:26 「わが民の中には逆らう者がいる。網を張り 鳥を捕る者のように、潜んでうかがい 罠を仕掛け、人を捕らえる。
5:27 籠を鳥で満たすように 彼らは欺き取った物で家を満たす。こうして、彼らは強大になり富を蓄える。
5:28 彼らは太って、色つやもよく その悪事には限りがない。みなしごの訴えを取り上げず、助けもせず 貧しい者を正しく裁くこともしない。
5:29 これらのことを、わたしが罰せずに いられようか、と主は言われる。このような民に対し、わたしは必ずその悪に報いる。
5:30 恐ろしいこと、おぞましいことが この国に起こっている。
5:31 預言者は偽りの預言をし 祭司はその手に富をかき集め わたしの民はそれを喜んでいる。その果てに、お前たちはどうするつもりか。」

詩篇 5:1  指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。 
5:2 主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください。
5:3 わたしの王、わたしの神よ 助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります。
5:4 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て あなたを仰ぎ望みます。
5:5 あなたは、決して 逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず
5:6 誇り高い者は御目に向かって立つことができず 悪を行う者はすべて憎まれます。
5:7 主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし 流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。
5:8 しかしわたしは、深い慈しみをいただいて あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し あなたを畏れ敬います。
5:9 主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き まっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。
5:10 彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで 喉は開いた墓、腹は滅びの淵。
5:11 神よ、彼らを罪に定め そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。
5:12 あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ あなたによって喜び誇ります。
5:13 主よ、あなたは従う人を祝福し 御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

1テサロニケ 2:13 このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。
2:14 兄弟たち、あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです。
2:15 ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、
2:16 異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げています。こうして、いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているのです。しかし、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます。
2:17 兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、――顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。
2:18 だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。
2:19 わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。
2:20 実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。

先日、礼拝の後で、ある信徒の方から「悪気はないのは分かりますが、ああいうことは話さない方がいいと思います」と忠告を頂いた。
おそらく、多くのカがそんな風に感じておられたのだろう。
自分としては、少しでも理解しやすいように、あるいは、少しでも楽しく興味深く聞いてもらえるようにと考えて、いろんな話を組み入れていたつもりだったが、時には逆効果の時もあるのだろう。
多少反省もし、最近は、なるべく余計なことを言わないようにと心がけてはいる。
けれど、やはり自分らしくないなあと感じながら、模索しながら働きにあたっている。

一方、月に2回ほど、お隣の教会でも午後礼拝で奉仕することになったが、こちらではまだ知らない方々がほとんどということもあり、少しでも和んで頂きたいと、いつもの調子でお話をしている。
どちらが良いとか悪いとかではないが、ある程度、慣れもあるのかもしれない。
長年お付き合いを続けていると、お互いのことがよく分かって来るし、それまで遠慮していたこともだんだん言えるようになることもあり、そういう意味では、長く付き合う事によって心が開けているともいえるし、それほど親しくなれたのだと考えれば良いのかもしれない。
いずれにせよ、真実な御言葉を語るという点では、いろんな例話を入れたり、入れなかったりすることは、どちらが良いということでもないのかもしれない。
少なくとも、自分の保身や利益のために語るようなことのないよう、そこはしっかりと注意しながら取り組んでいきたいものである。
会衆の置かれている状況、語る者との距離感、様々なことを考慮して、必要とあらば語り、不要とあれば省く、こういった足し算引き算を上手く活用しながら、中心は御言葉が語られる事であるというところを見失わないように努めていきたいものである。

1テサロニケ 2:13 このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。

Write a comment:

Your email address will not be published.