アモス 9:5 万軍の神なる主。主が大地に触れられると、地は揺れ動き そこに住む者は皆、嘆き悲しむ。大地はことごとくナイル川のように盛り上がり エジプトの大河のように沈む。
9:6 天に高殿を設け 地の上に大空を据え 海の水を呼び集め 地の面に注がれる方。その御名は主。
9:7 イスラエルの人々よ。わたしにとってお前たちは クシュの人々と変わりがないではないかと 主は言われる。わたしはイスラエルをエジプトの地から ペリシテ人をカフトルから アラム人をキルから、導き上ったではないか。
9:8 見よ、主なる神は罪に染まった王国に目を向け これを地の面から絶たれる。ただし、わたしはヤコブの家を全滅させはしないと 主は言われる。
9:9 見よ、わたしは命令を下し イスラエルの家を諸国民の間でふるいにかける。ふるいにかけても 小石ひとつ地に落ちないように。
9:10 わが民の中で罪ある者は皆、剣で死ぬ。彼らは、災いは我々に及ばず 近づくこともない、と言っている。
9:11 その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し その破れを修復し、廃虚を復興して 昔の日のように建て直す。
9:12 こうして、エドムの生き残りの者と わが名をもって呼ばれるすべての国を 彼らに所有させよう、と主は言われる。主はこのことを行われる。
9:13 見よ、その日が来れば、と主は言われる。耕す者は、刈り入れる者に続き ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。山々はぶどうの汁を滴らせ すべての丘は溶けて流れる。
9:14 わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒された町を建て直して住み ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み 園を造って、実りを食べる。
9:15 わたしは彼らをその土地に植え付ける。わたしが与えた地から 再び彼らが引き抜かれることは決してないと あなたの神なる主は言われる。
詩篇 34:1 ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。
34:2 どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
34:3 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
34:4 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。
34:5 わたしは主に求め 主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。
34:6 主を仰ぎ見る人は光と輝き 辱めに顔を伏せることはない。
34:7 この貧しい人が呼び求める声を主は聞き 苦難から常に救ってくださった。
34:8 主の使いはその周りに陣を敷き 主を畏れる人を守り助けてくださった。
34:9 味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
34:10 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
34:11 若獅子は獲物がなくて飢えても 主に求める人には良いものの欠けることがない。
34:12 子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう。
34:13 喜びをもって生き 長生きして幸いを見ようと望む者は
34:14 舌を悪から 唇を偽りの言葉から遠ざけ
34:15 悪を避け、善を行い 平和を尋ね求め、追い求めよ。
34:16 主は、従う人に目を注ぎ 助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
34:17 主は悪を行う者に御顔を向け その名の記念を地上から絶たれる。
34:18 主は助けを求める人の叫びを聞き 苦難から常に彼らを助け出される。
34:19 主は打ち砕かれた心に近くいまし 悔いる霊を救ってくださる。
34:20 主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し
34:21 骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。
34:22 主に逆らう者は災いに遭えば命を失い 主に従う人を憎む者は罪に定められる。
34:23 主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は 罪に定められることがない。
フィリピ 3:13 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
3:14 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
3:15 だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。
3:16 いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。
3:17 兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。
3:18 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。
3:19 彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。
3:20 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
3:21 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
4:1 だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。
旧約の時代のイスラエルの人たちは、自分たちは神に選ばれた者であるから、神が自分たちを見捨てたりすることなど決してあるはずがないと考え、自分たちには災いはもたらされることはないと考えていたようである。
しかし、アモスの言葉には、確かに買いはエジプトからイスラエルの民を導きだしたが、本質的にはエジプトの人たちと何ら変わりはないことが語られている。
イスラエル人もエジプト人も同じ人間である。
人間である以上、罪も犯すし、困難に出くわすこともある。
神に選ばれた者だけが全ての災いを巻逃れることができるというわけではなく、むしろ、その都度、どう生きるかが問われているのである。
困難な時には神に祈り、平穏な時は神に感謝し、どんな状況においても、神に立ち返り、神と共に生きる、そんな人生を過ごすようにと選ばれたのである。
日曜の日課では「礼服を着る」とは、キリストを着ることであると学んだが、中身は普通の人間であるが、あたかもキリストを身にまとっているかのように、神の御前では、御子イエス様のごとく見て頂ける、それがキリストにある者の幸いな特権である。
イエス様を信じて、何が変わったというわけでも、成長しているわけでもないかもしれない。
それでも、キリストを信じ、キリストを身にまとい、キリストと共に生きるなら、私たちは幸いである。
今日の日も、はじめてイエス様と出会った日とおなじように、罪を赦して頂いた感謝と喜びを抱きつつ、新しい一日を過ごしていきたいものである。