イザヤ 22:1 幻の谷についての託宣。どうしたのか、お前たちが皆、屋上にいるのは。
22:2 騒音に満たされ、どよめく都 喜びに浮かれた町よ。お前の死者たちは、剣に倒れたのではない 戦って死んだのではない。
22:3 お前の将校たちはすべて逃げ出したが 弓を引くこともなく捕らえられた。遠くに逃げた者も皆 見つけられ、共に捕らえられた。
22:4 それゆえ、わたしは言う。「わたしから目をそらしてくれ。わたしは激しく泣く。あえてわたしを慰めるな。娘なるわが民が滅びたのだ。」
22:5 混乱と蹂躙と崩壊の日が 万軍の主なる神から来る。幻の谷に、騒音が響き渡り 山に向かって叫ぶ声がある。
22:6 エラムは矢筒を取り上げ 戦車には人が乗り、馬がつながれた。また、キルは盾の覆いをはずした。
22:7 お前の最も豊かな平野は 戦車と馬で満たされ 彼らは城門の前に陣取り
22:8 ユダの防備をはぎ取った。その日には、お前たちは 森の家の武器に目を向けた。

詩篇 23:1  賛歌。ダビデの詩。 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
23:2 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い
23:3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
23:4 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
23:5 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
23:6 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

1ペテロ 5:1 さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。
5:2 あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。
5:3 ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。
5:4 そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
5:5 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。

先の見えない困難な時代、どう生きて行けば良いのか、全く見当がつかない。
そんな不安な中に歩んでいる者にとって、正しく導いてくれる人がいることは幸いであるし、なんとも頼りになる存在となるだろう。
しかし、導く人も同じ困難な時代を生きている。
共に歩むよりほかないのである。

詩篇23篇の言葉は、牧歌的で、多くの人が慰めを得、安らかな希望を抱くものとなっているだろう。
しかし、よくよく見てみると、実際に置かれている状況は、まさに死の陰の谷を歩んでいるようなものであるということが伺える。
いつかは平安な牧場にたどり着けるのかもしれないが、現実を見れば、そこは殺伐とした世界の真っ只中なのであろう。
それでも希望があるのは、主なる神が真実なお方であり、約束されたことは必ず実現されるからである。
だから、いつかは必ず平安の地へ辿り着くし、いつか必ずたどり着けるのなら、なんの心配も要らないし、既にそこに居るも同然なのである。
私たちは、そういう約束と現実の双方に生きているのである。

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