創世記 50:22 ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、
50:23 エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。
50:24 ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」
50:25 それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」
50:26 ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた。

詩篇 133:1  都に上る歌。ダビデの詩。 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
133:2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り 衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り
133:3 ヘルモンにおく露のように シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された 祝福と、とこしえの命を。

マルコ 11:20 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。
11:21 そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」
11:22 そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。
11:23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。
11:24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。
11:25 また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」

信じて疑わずに祈るなら、たとえ山に向かって「立ち上がって、海に飛び込め」と命じても、その通りになるという。
しかし、どんなに神を信じて祈ったところで、ほぼそれが不可能であることはわかているし、仮に山を動かせたとしても、いったいそれが何になるであろうか。
無意味なことであろう。
それよりも、私たちが周りの人たちを赦してあげることの方がよほど尊い。
仮に、それがどんなに難しいなことであったとしても、信じて祈るならば、きっと赦せるようなる、ということであろう。
それほどに、私たちが周りの人を赦すことは難しいことであるけれども、意味のある尊いことである。
同じ信じて祈るなら、山を動かすことよりは、自分が他人を赦せるようになることを祈ろう。

マルコ11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。
11:3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
11:4 わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

私たちが他者を赦すことは、神の御心に適う事であり、神の御心である以上、それは必ず成る。
そう信じて祈り続けていきたいものである。

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