イザヤ 28:14 嘲る者らよ、主の言葉を聞け エルサレムでこの民を治める者らよ。
28:15 お前たちは言った。「我々は死と契約を結び、陰府と協定している。洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れがとする。」
28:16 それゆえ、主なる神はこう言われる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石 堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。
28:17 わたしは正義を測り縄とし 恵みの業を分銅とする。雹は欺きという避け所を滅ぼし 水は隠れがを押し流す。
28:18 お前たちが死と結んだ契約は取り消され 陰府と定めた協定は実行されない。洪水がみなぎり、溢れるとき お前たちは、それに踏みにじられる。」
28:19 洪水は溢れる度にお前たちを捕らえる。それは朝ごとに溢れ、昼も夜も溢れる。この御告げを説き明かせば ただ恐怖でしかない。
28:20 寝床は短くて身を伸ばすことができず 覆いは狭くて身を覆うことができない。
28:21 主はペラツィム山のときのように立ち上がり ギブオンの谷のときのように憤られる。それは御業を果たされるため。しかし、その御業は未知のもの。また、働きをされるため。しかし、その働きは敵意あるもの。
28:22 今、嘲ることをやめなければ お前たちの縄目は厳しくなる。わたしは定められた滅びについて聞いた。それは万軍の主なる神から出て国全体に及ぶ。
詩篇 18:2 主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
18:3 主はわたしの岩、砦、逃れ場 わたしの神、大岩、避けどころ わたしの盾、救いの角、砦の塔。
18:4 ほむべき方、主をわたしは呼び求め 敵から救われる。
18:21 主はわたしの正しさに報いてくださる。わたしの手の清さに応じて返してくださる。
18:22 わたしは主の道を守り わたしの神に背かない。
18:23 わたしは主の裁きをすべて前に置き 主の掟を遠ざけない。
18:24 わたしは主に対して無垢であろうとし 罪から身を守る。
18:25 主はわたしの正しさに応じて返してくださる。御目に対してわたしの手は清い。
18:26 あなたの慈しみに生きる人に あなたは慈しみを示し 無垢な人には無垢に
18:27 清い人には清くふるまい 心の曲がった者には背を向けられる。
18:28 あなたは貧しい民を救い上げ 高ぶる目を引き下ろされる。
18:29 主よ、あなたはわたしの灯を輝かし 神よ、あなたはわたしの闇を照らしてくださる。
18:30 あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし わたしの神によって、城壁を越える。
18:31 神の道は完全 主の仰せは火で練り清められている。すべて御もとに身を寄せる人に 主は盾となってくださる。
18:32 主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。
18:33 神はわたしに力を帯びさせ わたしの道を完全にし
マタイ 26:6 さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、
26:7 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。
26:9 高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」
26:10 イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
26:11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
26:12 この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。
26:13 はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
人間は、生きていくために、ありとあらゆる事を考え、計画し、そして実行していく。
それ自体は必ずしも悪いことではないが、あまりにそこにこだわり過ぎると、多少悪いことであっても生きていくためならば仕方ないと考えることもある。
世の犯罪などはそういったことが背景となって起きているものが多い。
時には正義を損ない、人を欺いてでも、生きていくために手段を選ばないということもあるのだろう。
けれど、そこまでして生き延びて、果たしてそのような人生は幸いと言えるのだろうか。
神を愛し、隣人を愛する、という神が人間に求めておられる生き方は、確かに、時には損であると感じることも多いかもしれない。
けれど、長い目で見たとき、ばかばかしいと思えるようなことの方が、尊く価値のある生き方である場合もあるだろう。
そもそも、イエス様は、もともと価値のある者を救うおうとされたわけではなく、ほとんど価値のないような者であっても、これを愛し、贖い、価値あるものにして下さったのだ。
ローマ5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
5:10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
イエス様は、愚かな者のために命を投げ出して贖い、救い出して下さった。
ならば、我々も、世的には愚かなことを思えるような生き方であったとしても、神が願われる生き方に、喜んで我々の生涯をささげて行こうではないか。