イザヤ 45:20 国々から逃れて来た者は集まって 共に近づいて来るがよい。偶像が木にすぎないことも知らずに担ぎ 救う力のない神に祈る者。
45:21 意見を交わし、それを述べ、示せ。だれがこのことを昔から知らせ 以前から述べていたかを。それは主であるわたしではないか。わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は わたしのほかにはない。
45:22 地の果てのすべての人々よ わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。
45:23 わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば その言葉は決して取り消されない。わたしの前に、すべての膝はかがみ すべての舌は誓いを立て
45:24 恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。主に対して怒りを燃やした者はことごとく 主に服し、恥を受ける。
45:25 イスラエルの子孫はすべて 主によって、正しい者とされて誇る。

詩篇 67:1  指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。
67:2 神がわたしたちを憐れみ、祝福し 御顔の輝きを わたしたちに向けてくださいますように セラ
67:3 あなたの道をこの地が知り 御救いをすべての民が知るために。
67:4 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
67:5 諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように あなたがすべての民を公平に裁き この地において諸国の民を導かれることを。 セラ
67:6 神よ、すべての民が あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって あなたに感謝をささげますように。
67:7 大地は作物を実らせました。神、わたしたちの神が わたしたちを祝福してくださいますように。
67:8 神がわたしたちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで すべてのものが神を畏れ敬いますように。

黙示録 15:1 わたしはまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである。
15:2 わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていた。
15:3 彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。「全能者である神、主よ、あなたの業は偉大で、驚くべきもの。諸国の民の王よ、あなたの道は正しく、また、真実なもの。
15:4 主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、明らかになったからです。」

本日の日課の箇所には、来るべき時が来れば、全ての民が真の神の救いの御業を知るようになるであろうことが語られていると言える。
それは、世の終わりの時なのかもしれないが、願わくは、一人でも多くの方が、この救いに与ることができるよう祈るばかりである。
しかし、残念ながら、多くの人が真の神を知らず、この世の富や快楽を追い求めてさまよい続けているのが現実かもしれない。
自分自身をどうにかして救おうとして、あれこれ策を講じて生きようとしても、それらは、神の御前においては、何の力もなく、その人を救う事はできないのである。
しかしそれは、未だ救われていない人に限った話ではない。
神の言葉を聞き、信じて救いの約束を受け取ったはずの人にも当てはまる事であろう。
聖書の歴史を振り返ってみても、神の偉大な救いの御業を経験したイスラエルでさえ、エジプトから救い出された直後に、エジプトの生活の方が良かったといって不平不満をつぶやいたりして神に背いているし、常に神を見上げ、神を信じて従って生きようとする者の方が、むしろ少ないというのが現実なのだろう。
だからこそ、聖書には、「神を信ぜよ」「神のもとに立ち返れ」と何度も語りかけているのであろう。
聖書に記されているイスラエルの歴史を見ても、いかに神の憐れみを受けて、偉大な救いの御業を経験しても、すぐさま神を離れてしまう愚かな人間の姿と、それでもなおあきらめずに神のもとの立ち返れと語りかける神の御言葉の繰り返しである。
しかし、それにも変わらず、神は民を愛し、何度でも赦し、救いへと導いていかれるのである。
だから、一度聞いたから、もう安心ということではなく、聞いてもすぐに忘れ、神から離れようとしてしまうような者だからこそ、何度も何度も神の御言葉に聞いていくことが大切なのだろう。
「自分は神を信じているから救われている人」という観点から聖書を読むだけではなく、「私は神に背き、滅んでいる人」として、改めて神の救いの約束の言葉に聞いていくならば、常にイエス様の十字架がどれほど大きなものであるかということを知るだろうし、そういった姿勢を忘れないで御言葉に聞き続けていきたいものである。

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