創世記 7:11 ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた。
7:12 雨が四十日四十夜地上に降り続いたが、
7:13 まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この三人の息子の嫁たちも、箱舟に入った。
7:14 彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの地を這うもの、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、
7:15 命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。
7:16 神が命じられたとおりに、すべて肉なるものの雄と雌とが来た。主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた。
7:17 洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。
7:18 水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。
7:19 水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。
7:20 水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。
7:21 地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。
7:22 乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。
7:23 地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。
7:24 水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。
8:1 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。
8:2 また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、
8:3 水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、
8:4 第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。
8:5 水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。
詩篇 18:2 主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。
18:3 主はわたしの岩、砦、逃れ場 わたしの神、大岩、避けどころ/わたしの盾、救いの角、砦の塔。
18:4 ほむべき方、主をわたしは呼び求め 敵から救われる。
18:5 死の縄がからみつき 奈落の激流がわたしをおののかせ
18:6 陰府の縄がめぐり 死の網が仕掛けられている。
18:7 苦難の中から主を呼び求め わたしの神に向かって叫ぶと その声は神殿に響き 叫びは御前に至り、御耳に届く。
18:8 主の怒りは燃え上がり、地は揺れ動く。山々の基は震え、揺らぐ。
18:9 御怒りに煙は噴き上がり 御口の火は焼き尽くし、炎となって燃えさかる。
18:10 主は天を傾けて降り 密雲を足もとに従え
18:11 ケルブを駆って飛び 風の翼に乗って行かれる。
18:12 周りに闇を置いて隠れがとし 暗い雨雲、立ちこめる霧を幕屋とされる。
18:13 御前にひらめく光に雲は従い 雹と火の雨が続く。
18:14 主は天から雷鳴をとどろかせ いと高き神は御声をあげられ 雹と火の雨が続く。
18:15 主の矢は飛び交い 稲妻は散乱する。
18:16 主よ、あなたの叱咤に海の底は姿を現し あなたの怒りの息に世界はその基を示す。
18:17 主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ 大水の中から引き上げてくださる。
18:18 敵は力があり わたしを憎む者は勝ち誇っているが なお、主はわたしを救い出される。
18:19 彼らが攻め寄せる災いの日 主はわたしの支えとなり
18:20 わたしを広い所に導き出し、助けとなり 喜び迎えてくださる。
2ペテロ 2:4 神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。
2:5 また、神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。
2:6 また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。
2:7 しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた正しい人ロトを、助け出されました。
2:8 なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。
2:9 主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。
2:10 特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。
聖書には、主なる神様が罪を犯した者たちを容赦なく裁かれるであろうことが語られている。
それがいつ、どのような仕方でなされるのかは分からないが、必ず成し遂げられる。
現に、ノアの時代には、大洪水をもって罪深い者らを一掃されたし、ソドムとゴモラの町をも焼き尽くされたことが聖書に記されているが、それは、確かに起こった事であろう。
主なる神様は、語られたことは必ず実行される。
では、現代に生きる私たちについてはどうであろうか。
もちろん、それは避けることのできないことであろう。
罪深い者は裁かれ、神を信じる者は救われる、そんな裁きが必ず成し遂げられる。
ある人は、それらのことが終わりの日に行われると考え、今は、その終末の時を迎えているのではないかと考えるかもしれない。
しかし、それは、実に、既に成し遂げられていることである。
あの十字架のイエス様のお姿を見る時、そこに、罪深い者が裁かれた姿と、神を信じる者たちに対する裁きはすっかり取り去られていることを示す、神の救いの計画が成就していることを知るのである。
罪深く、神に背いて生きていた私も、あの十字架にかけられたイエス様と共に完全に滅ぼされているし、同時に、イエス様を救い主として信じることで、完全なる救いの約束を頂いて、神の国において永遠の命に生きる者とされていることを知るのである。
神を信じる私は救われ、神を信じない人たちは裁かれる、という風にのみ考えていると、イエス様の十字架の意味を誤って解釈しかねない。
他人のことはどうなるかわからない。
まずは自分自身である。
自分こそ、大洪水で滅ぶべき人であったし、同時に、神の憐れみによって箱舟に入って救われた者のようであることを覚えたいものである。