列王記上 5:9 神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。
5:10 ソロモンの知恵は東方のどの人の知恵にも、エジプトのいかなる知恵にもまさった。
5:11 彼はエズラ人エタン、マホルの子らであるヘマン、カルコル、ダルダをしのぐ、最も知恵ある者であり、その名は周りのすべての国々に知れ渡った。
5:12 彼の語った格言は三千、歌は千五首に達した。
5:13 彼が樹木について論じれば、レバノン杉から石垣に生えるヒソプにまで及んだ。彼はまた、獣類、鳥類、爬虫類、魚類についても論じた。
5:14 あらゆる国の民が、ソロモンの知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた。
詩篇 119:121 わたしは正しい裁きを行います 虐げる者にわたしをまかせないでください。
119:122 恵み深くあなたの僕の保証人となってください。傲慢な者がわたしを虐げませんように。
119:123 御救いを待って、わたしの目は衰えました あなたの正しい仰せを待って。
119:124 慈しみ深く あなたの僕のために計らってください。あなたの掟をわたしに教えてください。
119:125 わたしはあなたの僕です。あなたが分からせてくだされば あなたの定めを知ることができます。
119:126 主の働かれるときです。人々はあなたの律法を破棄しています。
119:127 それゆえ、金にまさり純金にまさって わたしはあなたの戒めを愛します。
119:128 それゆえ、あなたの命令のすべてに従って わたしはまっすぐに歩き 偽りの道をことごとく憎みます。
エフェソ 6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、
6:15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
6:16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
6:17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
6:18 どのような時にも、”霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
エフェソ6章の箇所には、神の武具を見に就けて、信仰の戦いに備えるように勧められている。
武具については、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音を告げる準備という履きもの、信仰の盾、救いの兜、そして、神の言葉という霊の剣、などを備えるよう命じられている。
しかし、これらの武具のほとんどが、身を守るためのものであり、かろうじて霊の剣だけが武器として用いることができるものと言えるだろう。
そのことについては、これらの神の武具を身にまとう理由が、悪との戦いに備えるためであるとなっているが、具体的には「立っている」ためだと語られている。(11節、13節)
神の武具を身に着けて備える理由は、積極的に悪に立ち向かうためではなく、悪の攻撃に対して打ち倒されてしまわないで、立ち続けているためである、ということなのである。
そして、どのような時にも霊に助けられて祈り、すべての聖なる者のために根気よく祈り続けていくためである、とも語られている。
祈りの姿勢は、やたら自分で行動して、敵に対して攻撃していくような姿ではない。
むしろ、じっとして、静かに神に祈り求めていく。
祈りは、何もしていないようで、実にとても大切な働きである。
「信仰の戦い」の意味をはき違えて、他者に攻撃を加えていくようなやり方ではなく、信仰者としてしっかりと立ち続け、祈り続けていくことのできる「戦い」を続けていきたいものである。
ルターのことば
「我ここに立つ」