イザヤ 48:6 お前の聞いていたこと、そのすべての事を見よ。自分でもそれを告げうるではないか。これから起こる新しいことを知らせよう 隠されていたこと、お前の知らぬことを。
48:7 それは今、創造された。昔にはなかったもの、昨日もなかったこと。それをお前に聞かせたことはない。見よ、わたしは知っていたと お前に言わせないためだ。
48:8 お前は聞いたこともなく、知ってもおらず 耳も開かれたことはなかった。お前は裏切りを重ねる者 生まれたときから背く者と呼ばれていることを わたしは知っていたから。
48:9 わたしは、わたしの名のために怒りを抑え わたしの栄誉のために耐えて お前を滅ぼさないようにした。
48:10 見よ、わたしは火をもってお前を練るが 銀としてではない。わたしは苦しみの炉でお前を試みる。
48:11 わたし自身のために、わたし自身のために わたしは事を起こす。わたしの栄光が汚されてよいであろうか。わたしはそれをほかの者には与えない。

詩篇 65:10 あなたは地に臨んで水を与え 豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え
65:11 畝を潤し、土をならし 豊かな雨を注いで柔らかにし 芽生えたものを祝福してくださるからです。
65:12 あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。
65:13 荒れ野の原にも滴り どの丘も喜びを帯とし
65:14 牧場は羊の群れに装われ 谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。

ローマ 15:14 兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。
15:15 記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、
15:16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。
15:17 そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。
15:18 キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、
15:19 また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。
15:20 このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。
15:21 「彼のことを告げられていなかった人々が見、聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。

新約聖書の時代、初代教会の人たちでさえ、神の言葉がこれほどまでに異邦人に宣べ伝えられていくであろうなどということは、おおよそ誰も考えていなかっただろ。
せいぜい、ユダヤ人のコミュニティにおいてか、そこにつながる一部の人たちに対して受け継がれていくくらいに考えていたかもしれない。
しかし、パウロをはじめ、多くのキリスト者らが異邦人への宣教を進めて行き、やがて世界中にキリスト教は広まっていくのである。
異邦人への宣教ということを考える時、もともと聖書(おもに旧約聖書)のことを知らない人たちへ宣教していくことは、困難を極めるものであっただろう。
少しでも聖書の知識があるのならば、話しを進めやすいが、全く聖書の知識のないところに、一から神の言葉を宣べ伝えて行くことは、想像以上に難しいものであっただろう。
しかし、パウロら、異邦人への伝道者らは、それを成し遂げて行ったのである。
難しいし、人間にはほぼ不可能と思われるようなことも、神の御業だから実現していく、それが異邦人への宣教という点で明らかにされていることと言えるだろう。
我々もまた、現代において、聖書の事など何も知らない方々へ、イエス様のことを宣べ伝えて行こうとしている。
人間の業には、ほぼ不可能と思われることも、神には何でもできる、そう信じて、パウロほどではないにしても、どんな小さなことでもいいから、神の国の働きに携わらせていただくことで、大いなる神の恵みの御業を見させていただきたいものである。

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