イザヤ 48:1 ヤコブの家よ、これを聞け。ユダの水に源を発し イスラエルの名をもって呼ばれる者よ。まこともなく、恵みの業をすることもないのに 主の名をもって誓い イスラエルの神の名を唱える者よ。
48:2 聖なる都に属する者と称され その御名を万軍の主と呼ぶイスラエルの神に 依りすがる者よ。
48:3 初めからのことをわたしは既に告げてきた。わたしの口から出た事をわたしは知らせた。突如、わたしは事を起こし、それは実現した。
48:4 お前が頑固で、鉄の首筋をもち 青銅の額をもつことを知っているから
48:5 わたしはお前に昔から知らせ 事が起こる前に告げておいた。これらのことを起こしたのは、わたしの偶像だ これを命じたのは、わたしの木像と鋳像だと お前に言わせないためだ。
詩篇 65:10 あなたは地に臨んで水を与え 豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え
65:11 畝を潤し、土をならし 豊かな雨を注いで柔らかにし 芽生えたものを祝福してくださるからです。
65:12 あなたは豊作の年を冠として地に授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。
65:13 荒れ野の原にも滴り どの丘も喜びを帯とし
65:14 牧場は羊の群れに装われ 谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの叫びをあげています。
ローマ 2:12 律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。
2:13 律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
2:14 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
2:15 こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。
2:16 そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。
日本のあちこちで大きな水害が発生し、毎日ニュースで流される映像を見ては心を痛めるばかりである。
被災された地域の方々には、一日も早い復興と、主の慰めがあるように祈りたい。
ところで、ある人は、このような大きな災害は、神を信じようとしない者や、罪深い者に対する裁きや警告の類ではないかと考えるかもしれないが、果たして本当にそうだと言い切れるのだろうか。
もともと雨は、地を潤し、豊かにするために降る。
しかし、人の都合だけ、時には恵みとなり災いともなる。
雨が全く降らないのも困るし、冷静かつ客観的な見方が必要であろう。
被災された人たちがとりわけ罪深い人たちだったというわけでもない。
神は全ての人を愛し、救いたいと願っておられるはずだからである。
神の御業は、基本的には恵みの業である。
律法の言葉は、確かに人を戒め、裁く働きをするかもしれない。
しかし、それは、人が悔い改めて神を信じるようになるために語られるものであり、福音の言葉があるからこそ語られるべきものであろう。
むしろ、福音の言葉を語るために律法の言葉もある。
ローマ書には、律法の言葉を聞いたことのない人でも、その心に良心があれば、律法と同じ働きをすると言った風に語られている。
今は隠されていても、いつかキリストのもとに導かれ、福音の言葉の前に立つことになるだろう。
その時がいつなのか我々にはわからない。
だから、我々も、神のなさる恵みの業と共に歩んでいけるよう、日々聖書の御言葉に聞き、福音を宣べ伝えていく働きに携わらせて頂きたいものである。