ヨブ 39:26 鷹が翼を広げて南へ飛ぶのは お前が分別を与えたからなのか。
39:27 鷲が舞い上がり、高い所に巣を作るのは お前が命令したからなのか。
39:28 鷲は岩場に住み 牙のような岩や砦の上で夜を過ごす。
39:29 その上から餌を探して はるかかなたまで目を光らせている。
39:30 その雛は血を飲むことを求め 死骸の傍らには必ずいる。
40:1 ヨブに答えて、主は仰せになった。
40:2 全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。神を責めたてる者よ、答えるがよい。
40:3 ヨブは主に答えて言った。
40:4 わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう。わたしはこの口に手を置きます。
40:5 ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、もう繰り返しません。

詩篇 29:1  賛歌。ダビデの詩。 神の子らよ、主に帰せよ 栄光と力を主に帰せよ
29:2 御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。
29:3 主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。
29:4 主の御声は力をもって響き 主の御声は輝きをもって響く。
29:5 主の御声は杉の木を砕き 主はレバノンの杉の木を砕き
29:6 レバノンを子牛のように シルヨンを野牛の子のように躍らせる。
29:7 主の御声は炎を裂いて走らせる。
29:8 主の御声は荒れ野をもだえさせ 主はカデシュの荒れ野をもだえさせる。
29:9 主の御声は雌鹿をもだえさせ 月満ちぬうちに子を産ませる。神殿のものみなは唱える 「栄光あれ」と。
29:10 主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。
29:11 どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。

ヨハネ 14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

自分は悪くないのに、なぜこんな辛いことばかり自分の身にふりかかるのかと神に不平をつぶやいていたヨブであったが、神様の偉大さや摂理などを解き明かされるにつれて、ヨブは己の罪深さを思い知らされ、ついに神の御前に何一つ反論できないほどに、ざんげの言葉を述べることになるのである。
ヨブは、思い上がっていた自分自身の罪深さを思い知らされ、恥ずかしい思いや情けない思いでいっぱいになっていたことと思う。
しかし、それは、本当の意味で神を畏れ信頼し、喜び生きるようになるために必要な過程であったと言えるであろう。

この世界でも、多くの人が罪を犯した際、その罪が裁かれるために裁判を受けることになる。
大きな罪を犯した者には、相応の判決が言い渡されるが、その目的は、単に罪を犯した人を裁き、罰を与えるためだけでなく、可能な限り更生させて、再び社会に戻り、これからは罪を犯さないような人生を送らせるためであろう。
そのために裁判は行われるのである。
だから、どんなに残忍な罪を犯した者でも、弁護士がつけられる。
法律に詳しくない者が、一方的に責められて、情状酌量の余地など全くないといった状況にならないように配慮される。
裁きとは、そういうものである。

もちろん、主なる神様の我々に対する思いは、もっともっと愛と憐れみに満ちたものであるから、ただただ罪を指摘して、その罪に対して罰を与えて裁かれる、といった類のものではない。
罪に対する裁きは正しく完全に行われるが、その罰は、我々に対してではなく、御子イエス様の十字架によって成し遂げられ、我々はもはや、なんの罰も背負わされることもないのである。
そのような弁護をして下さるのは、聖霊様である。
聖霊様も同じ神である。
同じ神が、私たちの罪に対して、厳しく完全に処罰を行い、その処罰を全て引き受けて下さったイエス様がいて、そのお方のおかげでもはや私たちは完全に赦されていますよと聖霊様が弁護して下さる。
あとは、これほどの大きな愛と恵みによって罪赦された者が、どう生きるか。
再び罪に支配された生き方へ戻るのではなく、罪赦された者として、キリストの証人としての人生を歩んでいきたいものである。

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