箴言 3:13 いかに幸いなことか 知恵に到達した人、英知を獲得した人は。
3:14 知恵によって得るものは 銀によって得るものにまさり 彼女によって収穫するものは金にまさる。
3:15 真珠よりも貴く どのような財宝も比べることはできない。
3:16 右の手には長寿を 左の手には富と名誉を持っている。
3:17 彼女の道は喜ばしく 平和のうちにたどって行くことができる。
3:18 彼女をとらえる人には、命の木となり 保つ人は幸いを得る。
詩篇 102:2 主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。
102:3 苦難がわたしを襲う日に 御顔を隠すことなく、御耳を向け あなたを呼ぶとき、急いで答えてください。
102:4 わたしの生涯は煙となって消え去る。骨は炉のように焼ける。
102:5 打ちひしがれた心は、草のように乾く。わたしはパンを食べることすら忘れた。
102:6 わたしは呻き 骨は肉にすがりつき
102:7 荒れ野のみみずく 廃虚のふくろうのようになった。
102:8 屋根の上にひとりいる鳥のように わたしは目覚めている。
102:9 敵は絶えることなくわたしを辱め 嘲る者はわたしによって誓う。
102:10 わたしはパンに代えて灰を食べ 飲み物には涙を混ぜた。
102:11 あなたは怒り、憤り わたしを持ち上げて投げ出された。
102:12 わたしの生涯は移ろう影 草のように枯れて行く。
102:13 主よ あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。
102:14 どうか、立ち上がって シオンを憐れんでください。恵みのとき、定められたときが来ました。
102:15 あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み 塵をすら、どれほど慕うことでしょう。
102:16 国々は主の御名を恐れ 地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。
102:17 主はまことにシオンを再建し 栄光のうちに顕現されます。
102:18 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み その祈りを侮られませんでした。
ヨハネ 8:31 イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。
8:32 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
8:33 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」
8:34 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
8:35 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。
8:36 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
8:37 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。
8:38 わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」
まだ私が牧師になる前に、先輩の牧師先生から聞いた話し。
ある人から「クリスチャンになると、酒もタバコもやめないといけないようなら、不自由だからクリスチャンにはなりたくない」と言われた時に「自分は酒もタバコもしない自由を選ぶ」と答えられたということを教えてくれた。
自由とは、好きな事ができる、というより、それがなければ生きていけないほどのものではない、ということであり、不自由とは、好きな事ができない、というよりも、それに縛られて生きている、あるいは、それなしには生きていけない、いわば奴隷のようなものであると言えるだろう。
ある人は、お酒がなければ生きていけないし、タバコをやめるくらいなら死んだ方がマシと考える人もいるかもしれない。
けれど、もはやそのような状態こそ、お酒やタバコなどの奴隷となっているようなものである。
一時の気休めにはなったとしても、それがその人を救ってくれるわけではない。
むしろ、滅びへ招くこともないとは言えない。
最近、他の教会のある牧師からこんな話を聞いた。
「お酒やタバコは人間にとっては害である。いわば、人間にとって敵のようなものである。しかし、イエス様は『汝の敵を愛せよ』と仰せられた。だから私は敵を愛する」と。
半分冗談もまじっているのだろうけれど、苦しい言い訳に聞こえる。
イエス様が「汝の敵を愛せよ」と仰せられたのは、あなたにとって敵と思えるような人でも、神はその人のことも愛しておられ、救いたいと願っておられる、だから、その人のことも大事にしなさい、との思いで語られているのであろう。
私たちは、それ故に、自分にとって難しいと思える相手でも、できるだけ愛そうと願うのであろう。
しかし、酒やタバコなどは、救うべき相手ではない。
イエス様が愛し、命をかけてまで救おうとされたものではない。
私たちは、そのようなものに対し「私はこれがなければ生きていけない」と言うほど、愛する必要はない。
お酒やタバコなどが全て悪いもので、絶対にたしなんではいけないとまでは思わないが、無いなら無いでも自分は生きて行くことができる、というところをしっかりと保っておきたい。
そして、私たちが生きていくために必要なことは、本当の自由を与えてくれるキリストの救いの約束であるということを覚えたいものである。