箴言 3:5 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
3:6 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
3:7 自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。
3:8 そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり あなたの骨は潤されるであろう。
3:9 それぞれの収穫物の初物をささげ 豊かに持っている中からささげて主を敬え。
3:10 そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし 搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる。
3:11 わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。
3:12 かわいい息子を懲らしめる父のように 主は愛する者を懲らしめられる。
詩篇 102:2 主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。
102:3 苦難がわたしを襲う日に 御顔を隠すことなく、御耳を向け あなたを呼ぶとき、急いで答えてください。
102:4 わたしの生涯は煙となって消え去る。骨は炉のように焼ける。
102:5 打ちひしがれた心は、草のように乾く。わたしはパンを食べることすら忘れた。
102:6 わたしは呻き 骨は肉にすがりつき
102:7 荒れ野のみみずく 廃虚のふくろうのようになった。
102:8 屋根の上にひとりいる鳥のように わたしは目覚めている。
102:9 敵は絶えることなくわたしを辱め 嘲る者はわたしによって誓う。
102:10 わたしはパンに代えて灰を食べ 飲み物には涙を混ぜた。
102:11 あなたは怒り、憤り わたしを持ち上げて投げ出された。
102:12 わたしの生涯は移ろう影 草のように枯れて行く。
102:13 主よ あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。
102:14 どうか、立ち上がって シオンを憐れんでください。恵みのとき、定められたときが来ました。
102:15 あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み 塵をすら、どれほど慕うことでしょう。
102:16 国々は主の御名を恐れ 地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。
102:17 主はまことにシオンを再建し 栄光のうちに顕現されます。
102:18 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み その祈りを侮られませんでした。
使徒 7:44 わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。
7:45 この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。
7:46 ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、
7:47 神のために家を建てたのはソロモンでした。
7:48 けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。
7:49 『主は言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしに どんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。
7:50 これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。」』
7:51 かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
7:53 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
7:54 人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。
7:55 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
7:56 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
毎週、あるいは、毎日のように聖書の話を語り続けていくことは、いろんな戦いがある。
長年信仰生活を続けていると、「この箇所は前にも読んだことがある」とか「この話は前にも聞いたことがある」といったことが多くなってくる。
それくらいならまだ良いが「今日のお話は新しい発見が何も無かった」とか、「以前、他の先生に聞いたお話しの方が良かった」とか、言われることもあるし、あるいは「先生の考えと私の考えは違う」とか、「先生のお話しはおかしい」などといった辛らつな言葉を浴びせられることも少なくない。
そんな時、自分が間違っているなら、すぐに訂正するが、そうではない場合など、対応が難しい時もある。
我々の仕事は、聖書に語られていることを、そのまま語る事にあるが、語っていることが自分にも当てはめなければならない場合も多く、なかなか難しい。
聖書に登場する人たちも、きっと同じような戦いがあったのだろうと思う。
しかし、彼らの多くは、恐れることなく、ひるむことなく、「神が語られた御言葉だから」と確信し、そのまま語っていったのであろう。
申命記31:6 強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」
31:7 モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。
31:8 主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
私たちは、恐れるべき相手を見誤ってはならない。
他人の顔色ばかりうかがって、人を恐れているようでは真実は語れないし、その人たちを救いへと導くことはできない。
全ては、救いへと招くため、である。
ステファノも、ユダヤ人たちからの批判や攻撃を受けながらも、神の救いの真実を伝えるために、最後まで勇敢に語り尽くしていったのである。
箴言 3:5 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
3:6 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
3:7 自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。
3:8 そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり あなたの骨は潤されるであろう。
3:9 それぞれの収穫物の初物をささげ 豊かに持っている中からささげて主を敬え。
3:10 そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし 搾り場に新しい酒を溢れさせてくださる。
3:11 わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。
3:12 かわいい息子を懲らしめる父のように 主は愛する者を懲らしめられる。
本当に畏れるべきお方を見失わず、恐れることなく、真実を語り続けていきたいものである。