エゼキエル 34:17 お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。
34:18 お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、自分たちは澄んだ水を飲みながら、残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。
34:19 わたしの群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、足でかき回した水を飲んでいる。
34:20 それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。
34:21 お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。
34:22 しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く。
34:23 わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。

詩篇 100:1  賛歌。感謝のために。 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
100:2 喜び祝い、主に仕え 喜び歌って御前に進み出よ。
100:3 知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。
100:4 感謝の歌をうたって主の門に進み 賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。
100:5 主は恵み深く、慈しみはとこしえに 主の真実は代々に及ぶ。

1ペトロ 5:1 さて、わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。
5:2 あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。
5:3 ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。
5:4 そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
5:5 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。

今回の新型コロナウイルスの問題は、人類全体に大きな課題を与えることとなったと言えるだろう。
大勢の人が集まる場所や都会などにおいて、人と人とが密に接するような場所が危険な場所となってしまうからである。
人が集まるところというのは、そこに多くの富や快楽など、人を喜ばせ、楽しませるものがあるからであろう。
しかし、それらは、富める者たちが貧しい者たちから搾取してきたことの上に成り立っていると言えるかもしれない。
都会では、毎日のように、多くの食べ物が一度も口をつけられないまま破棄されてきた。
一方で、貧しい国や貧しい地域に暮らす人たちは、安い労働力で働かされ、一度も貧困から抜け出せないまま、その生涯を終えていく。
誰がこのような世界が麗しいと思えるだろうか。
全ては人間の欲望や傲慢さのゆえに、富める者や力ある者たちが世界を搾取していった結果なのであろう。

ちなみに、私は鳥取で生まれ育ち、就職のため東京や大阪へと生活の場を変えて行ったが、都会に出て、はじめて人と接する経験をし、驚いたものである。
それは、通勤電車の、あの満員電車においてである。
鳥取では、家でも外でも、他人と接する機会など、ほとんど皆無だった。
人が少なく、人が集まれるような魅力的な場所も少なかったから、当然であろう。
けれど、今、そんな鳥取において、新型コロナウイルスの感染者が最も少ない地域の一つとなっている。
私に言わせれば、そんなの当たり前である。
都会のほうが異常なのだ。
ある社会コラムニストの方が、現代の都会の生活というのは、人類史においては極めて異常な状態であると書いておられたが、全くその通りであろう。
新型コロナウイルスの問題は、現代人の、特に文明の暮らしに浸って生活している多くの人たちに対する真の悔い改めの機会となっていると言えるだろう。
新しい生活様式を、との掛け声が聞こえるが、そうではなく、本来の人間らしい生活を取り戻す良い機会なのではないだろうか。
人里離れた寂しいところ、人が少ないところで、世界から見捨てられたように生きてきた人たちの方が、今は安心して暮らせている状況に、主なる神の豊かな憐れみを感じるこの頃。

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