列王記上 17:17 その後、この家の女主人である彼女の息子が病気にかかった。病状は非常に重く、ついに息を引き取った。
17:18 彼女はエリヤに言った。「神の人よ、あなたはわたしにどんなかかわりがあるのでしょうか。あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか。」
17:19 エリヤは、「あなたの息子をよこしなさい」と言って、彼女のふところから息子を受け取り、自分のいる階上の部屋に抱いて行って寝台に寝かせた。
17:20 彼は主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、あなたは、わたしが身を寄せているこのやもめにさえ災いをもたらし、その息子の命をお取りになるのですか。」
17:21 彼は子供の上に三度身を重ねてから、また主に向かって祈った。「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください。」
17:22 主は、エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった。子供は生き返った。
17:23 エリヤは、その子を連れて家の階上の部屋から降りて来て、母親に渡し、「見なさい。あなたの息子は生きている」と言った。
17:24 女はエリヤに言った。「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」
詩篇 143:1 賛歌。ダビデの詩。 主よ、わたしの祈りをお聞きください。嘆き祈る声に耳を傾けてください。あなたのまこと、恵みの御業によって わたしに答えてください。
143:2 あなたの僕を裁きにかけないでください。御前に正しいと認められる者は 命あるものの中にはいません。
143:3 敵はわたしの魂に追い迫り わたしの命を地に踏みにじり とこしえの死者と共に 闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
143:4 わたしの霊はなえ果て 心は胸の中で挫けます。
143:5 わたしはいにしえの日々を思い起こし あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し 御手の業を思いめぐらします。
143:6 あなたに向かって両手を広げ 渇いた大地のようなわたしの魂を あなたに向けます。 セラ
143:7 主よ、早く答えてください わたしの霊は絶え入りそうです。御顔をわたしに隠さないでください。わたしはさながら墓穴に下る者です。
143:8 朝にはどうか、聞かせてください あなたの慈しみについて。あなたにわたしは依り頼みます。行くべき道を教えてください あなたに、わたしの魂は憧れているのです。
143:9 主よ、敵からわたしを助け出してください。御もとにわたしは隠れます。
143:10 御旨を行うすべを教えてください。あなたはわたしの神。恵み深いあなたの霊によって 安らかな地に導いてください。
143:11 主よ、御名のゆえに、わたしに命を得させ 恵みの御業によって わたしの魂を災いから引き出してください。
143:12 あなたの慈しみのゆえに、敵を絶やしてください。わたしの魂を苦しめる者を ことごとく滅ぼしてください。わたしはあなたの僕なのですから。
使徒 20:7 週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。
20:8 わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。
20:9 エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。
20:10 パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」
20:11 そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。
20:12 人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。
現在、世界中の人々を恐怖に陥れている新型コロナウイルスによる脅威に対し、誰も、自分だけは助かるといった保証もなく、誰が命を落とすか分からないこともあって、ますます不安が増大しているように思う。
一日も早く治療薬やワクチンなどが開発され、少しでも被害が収まればと願うのであるが、治療薬やワクチンといったものも完全ではないし、仮にできたとしても完成、あるいは、流用されるまでには相当の時間がかかる。
なぜなら、それらの薬を用いて、本当に効果があるのか、あるいは、安全に使用できるのかといったことは、治験を重ねて、多くのサンプルデータを集める必要があるからである。
しかも、そのデータも完璧なものなどない。
だいたい「効きそう」かつ「安全そう」といった風に、大まかなデータでしかない。
つまり、完ぺきな薬や治療法などと言ったものはない、ということであり、それはどんな病気でも同じことが言えるのである。
そもそも、病気という概念も、「そういった症状がある」というものであり、現実はもっと複雑だし、一人一人症状が違って当然なのである。
分かっていることは、どんな症状があっても、生きている限りは「生きている」のであり、それが叶わなくなった時、人は死ぬ、ということである。
今は、世界中の全ての人が恐怖におびえ、苦しんでいる。
死者の数も日に日に増えている。
これからどのような日々が訪れるのか、誰にも分からないが、死の瞬間を迎えるその時までは、生きている。
どんな状態でも、生きている限り、私たちは、神との対話、嘆きの祈りを続けることはできる。
実は、そのような状態こそ、人が本当の意味で「生きている」ということなのかもしれない。
命の限り、生きている限り、命を与えて下さる主なる神、死者をも生き返らせて下さる主イエス・キリストに祈り続けていこう。