ミカ 7:18 あなたのような神がほかにあろうか 咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に いつまでも怒りを保たれることはない 神は慈しみを喜ばれるゆえに。
7:19 主は再び我らを憐れみ 我らの咎を抑え すべての罪を海の深みに投げ込まれる。
7:20 どうか、ヤコブにまことを アブラハムに慈しみを示してください その昔、我らの父祖にお誓いになったように。

詩篇 121:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
121:3 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
121:5 主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。
121:7 主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。

ローマ 3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
3:26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
3:27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。
3:30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。
3:31 それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。

人は律法の言葉を聞き、己の罪を示され、福音の言葉を聞き、赦しの言葉を頂く。
それは、神が義であり愛のお方であるからこそ成り立つものである。
しかし、神の側からすれば、私たちを愛する愛が先立ち、どんなに罪深いものであっても、その憐れみ深い愛の心のゆえに、私たち自身に律法の責めを、罪のゆえの裁きを背負わせようとせず、ご自分の御子キリストの十字架において完全なる贖いを成し遂げられ、そして、それ故に、キリストを救い主として信じる者に罪の赦しの約束を与え、神の御前で、もはや罪のない者のごとく義なる者として立たせていただけるのである。
これらの出来事は、神が憐れみ深いお方であるからこそ成し遂げられたものであって、我々の側に、救われるに値するような何等かの義なるものがあったからではない。
ただ神の憐れみの愛と、その愛のゆえに成し遂げられたキリストの十字架の御業を信じる信仰によるものである。
我々には信じること以外、何もできないからこそ、そこに恵みがあるのである。

マタイ 5:17 「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
5:18 はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
5:19 だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。

イエス様は、私たちのために、私たちの分まで律法の求めるところを全て成し遂げて下さり、そのことが我々の為であったということを我々が信じる時、我々はその約束の言葉を守ることになり、律法の求めを果たしていることになる。
福音とは、単に「あなたの罪は赦されました」という言葉を聞くだけではなく、そこに、「キリストがあなたに代わって死なれ、復活されました」という事まで含んだものとして、受け止められるべき言葉であるということを覚えておきたい。

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