申命記 26:34 国が打ち捨てられ、あなたたちが敵の国にいる間、土地は安息し、その安息を楽しむ。
26:35 土地は、打ち捨てられている間、あなたたちがかつて住んでいたころには得られなかった安息を得る。
26:36 わたしはあなたたちのうちで生き残った者の心を敵の国々でおびえさせる。彼らは風に舞う木の葉の音にもおびえ、剣に追われる者のように逃げ、追う者もないのに倒れる。
26:37 彼らは追う者もないのに、剣に追われるように逃げてつまずき、折り重なって倒れる。あなたたちは敵の前に立ち上がることがない。
26:38 あなたたちは異国で滅び、敵の国はあなたたちを食い尽くす。
26:39 生き残った者も、敵の国々で自分の罪のためにやせ衰え、更には先祖の罪のために、彼らと同じようにやせ衰える。
26:40 しかし、もし彼らが自分と自分の先祖の罪、すなわち、わたしを欺いて、反抗した罪を告白するならば、
26:41 たとえわたしが彼らに立ち向かい、敵の国に連れ去っても、もし、彼らのかたくなな心が打ち砕かれ、罪の罰を心から受け入れるならば、
26:42 そのとき、わたしはヤコブとのわたしの契約、イサクとのわたしの契約、更にはアブラハムとのわたしの契約を思い起こし、かの土地を思い起こす。
26:43 彼らが後にした土地は、打ち捨てられている間、安息を楽しむ。彼らはわたしの法を捨て、わたしの掟を退けたから、罪の罰を心から受け入れねばならない。
26:44 それにもかかわらず、彼らが敵の国にいる間も、わたしは彼らを捨てず、退けず、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らと結んだわたしの契約を破らない。わたしは彼らの神、主だからである。
26:45 わたしは彼らの先祖と結んだ契約を、彼らのために思い起こす。彼らはわたしがその神となるために、かつて国々の目の前でエジプトの国から導き出した者である。わたしは主である。
26:46 以上は、主がシナイ山においてモーセを通して、御自分とイスラエルの人々との間に定められた掟と法と律法である。
詩篇 119:1 いかに幸いなことでしょう まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。
119:2 いかに幸いなことでしょう 主の定めを守り 心を尽くしてそれを尋ね求める人は。
119:3 彼らは決して不正を行わず 主の道を歩みます。
119:4 あなたは仰せになりました あなたの命令を固く守るように、と。
119:5 わたしの道が確かになることを願います あなたの掟を守るために。
119:6 そうなれば、あなたのどの戒めに照らしても 恥じ入ることがないでしょう。
119:7 あなたの正しい裁きを学び まっすぐな心であなたに感謝します。
119:8 あなたの掟を守ります。どうか、お見捨てにならないでください。
1ヨハネ 2:7 愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。
2:8 しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。
2:9 「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。
2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。
2:11 しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。
2:12 子たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、 イエスの名によって あなたがたの罪が赦されているからである。
2:13 父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、 あなたがたが、初めから存在なさる方を 知っているからである。若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、 あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。
2:14 子供たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、 あなたがたが御父を知っているからである。父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、 あなたがたが、初めから存在なさる方を 知っているからである。若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、 あなたがたが強く、 神の言葉があなたがたの内にいつもあり、 あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。
2:15 世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
2:16 なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
2:17 世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。
我が家の子供たちが小学生だった頃、転校した学校では制服がなく、私服で登校することになった。
それはそれで余計なものを買わなくて済むので良かったのだけれど、ある時、参観日に出かけたとき、我が家の子どもだけがズボンの膝にボロ布を縫い付けているような状態で、なんとも惨めで申し訳ない気持ちになった。
けれど、当の本人たちは、なんとも思っていない様子で、生き生きと学校生活を楽しんでいる様子を見ることができて、嬉しく思った。
大学生になった今、多少はファッションなどにも関心を持つようになったが、3,000円で買ったリクルートスーツを嫌な顔ひとつせず、むしろ喜んで着ていってくれる。
親も似たような者だからなのかもしれないが、値段がどうとか、ブランドがどうとか、そんなことはどうでもよいと思っているのだろう。
本当に大切なことは、外見とか、暮らし向きの豊かさとかにあるのではなく、内面にある心の豊かさなのだから。
若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、 あなたがたが強く、 神の言葉があなたがたの内にいつもあり、 あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。
世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
もう少しすれば、学生生活も終わり、いよいよ社会へと旅立っていくことになるのだろう。
世の中の荒波にもまれ、いろんなところで苦労することになるのかもしれないけれど、いつでも神が共におられ、あなたがたを強く生かして下さるように心から願うばかりである。
ズボンの膝にボロ布を縫い付けていても平気だった子らなら、きっと大丈夫だろう。