ルカ 1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、
1:69 我らのために救いの角を、 僕ダビデの家から起こされた。
1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して 語られたとおりに。
1:71 それは、我らの敵、 すべて我らを憎む者の手からの救い。
1:72 主は我らの先祖を憐れみ、 その聖なる契約を覚えていてくださる。
1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、
1:74 敵の手から救われ、 恐れなく主に仕える、
1:75 生涯、主の御前に清く正しく。
1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、
1:77 主の民に罪の赦しによる救いを 知らせるからである。
1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、
1:79 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、 我らの歩みを平和の道に導く。」

イエス様は私たちを救うため、私たちの住む人の世界に「人」としてお生まれ下さった。
それは、どこか遠い世界で、高いところから眺めたまま、いっさい手を振れようともしないようなものではなく、むしろ、私たちの生きるこの世界の真っ只中においで下さり、イエス様ご自身も苦しまれるという仕方で、暗闇と死の陰に座している私たちを救おうとされたのである。
それは、私たちをどこか違う世界へ連れていくものというよりも、イエス様の方からやってきて下さって、この世界に生きながらも、平和の道を歩むことができるようにするものと言える。
だから、イエス様を信じたからと言って、とたんに私たちの生活の様子が変わったりすることもないかもしれないが、イエス様によって救われている約束を頂いた者は、平安のうちに、この世をも生きて行くことができるのである。
主イエス様は、暗闇と死の陰に生きる者たちを訪れ、解放し、照らし、導く。
今日一日の歩みの中にも、主エイス様が共におられることを感謝したい。

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