使徒 10:44 ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。
10:45 割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。
10:46 異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、
10:47 「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。
10:48 そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。それから、コルネリウスたちは、ペトロになお数日滞在するようにと願った。

聖書の言葉やイスラエルの歴史について詳しくなかった異邦人にも宣教の御業が広がって行った事は、まさに神の恵みに他ならない。
そもそも、神の救いの約束は「恵み」によるものであり、全てがキリストの十字架の贖いと復活の御業によって成し遂げられているのである。
我々人間の側でできることは、ただそれを信じて受け入れることだけであろう。
しかし、信じて受け入れた者の上に、主なる神様は聖霊を送られ、御言葉を語ったり、賛美の歌を歌ったりすることができるようになるのである。
そのことは、教会で行われていることであろう。
我々ももともとは聖書のことなど何も知らなかった異邦人である。
世界の片隅で生きていたようなちっぽけな者であるが、主なる神様が恵みを与え、聖霊様をお与え下さることで、みことばを語り、賛美をし、たとえ微力であろうとも、宣教の働きに携わらせて頂いている。
感謝なことである。

Write a comment:

Your email address will not be published.