エフェソ 4:7 しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。
4:8 そこで、「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」と言われています。
4:9 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。
4:10 この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。
4:11 そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。
4:12 こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、
4:13 ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
4:14 こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、
4:15 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。
4:16 キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。

ここでは、人として成長するということは、優れた能力や技術を身に着け、他者から賞賛されるような人になることを言うのではなく、他者に対して謙遜に仕え、愛をもって接していけるような人になることを述べているものと思われる。
もちろん、それは賜物である以上、人それぞれに働き方の違いはあるかもしれないが「他者に仕えていくため」という方向性は同じである。
自分にとってどのような利害があるかといった基準で動いていくことは、全体にとっては害でしかない。
しかし、全体にとって益となるよう働いていこうとすることは、自分にとって害とはならない。
なぜなら、自分も全体の一部だからである。
自分の周りのことだけで精一杯かもしれないが、全体の益となるような働きもおろそかにしないよう努めていきたいものである。

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