ルカ 21:34 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。
21:35 その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
21:36 しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
21:37 それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。
21:38 民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。
人は歳を重ねていくことで、次第に教えられたり、諭されたりする機会が少なくなり、やがて自分勝手な考え方に支配されてしまいがちである。
放縦とは、好き勝手に生きることであり、誰からも注意されることのない生活を送るようになる。
しかし、自分が思ったように事が運ばないと、次第に生活の隅々にまで煩いを覚えるようになり、深酒などのように、他のことに心を費やし、ごまかしていくようになるのだろう。
ここでは、そのような生活を送ることで心が鈍くなると言った風に語られているが、心が鈍くなっているから、そのような生活になっているのかもしれない。
イエス様は、人の子の前に立つことができるように、いつも目をさまして祈りなさいとおおせられている。
そして、民衆は、イエス様から話しを聞こうとして、朝早くからイエス様のもとに集まってきたのである。
今日我々にできることも、これと同じ、イエス様の前に立ち、御言葉に聞くことであろう。
御言葉の前にへりくだり、自分を吟味することを大切にしていれば、放縦も深酒も生活の煩いも少しは遠ざけて生きていくことができることだろう。
まずは御言葉に聞き、祈りから始める一日一日を大切に守っていきたいものでる。