マタイ 5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
5:2 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
5:3 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
5:4 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
5:5 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
5:7 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
5:8 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
5:9 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
5:10 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
5:11 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
5:12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

一見、この世では不利と思われるようなことに対して、イエス様は幸いであると仰せられる。
自分にとって不利であり、マイナスであることは、他者にとっては有利であり、プラスとなるからであろう。
与え、仕え、怒らず、裁かず、殺さない、そんな生き方を全うできれば、それは本当に幸いなことだろう。
なかなか難しいことではあるが、イエス様はそういうお方である。
まずは、この私のためにイエス様は全てを与え、仕え、そして、命をかけて愛し、救って下さった。
まずはイエス様が私に何をして下さったのかを覚えつつ、愛を受けたものとしてどう生きていくのかを考えつつ、幸いな人生を選び取っていけたらと願う。

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