コロサイ 4:2 目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。
4:3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。
4:4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。
4:5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。
4:6 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。
随分前に、海外からいらしたあるクリスチャンの方が「私は24時間365日、ずーっとイエス様にお祈りしています」と言っていたことがあり、不遜ながら「この方はいつ眠るのだろう」と思ったものである。
さすがに眠りながら祈ることは難しいと思うが、起きている間ずっとイエス様のことを思い続ける、ということなら、ここでも勧められている通り、それができれば幸いなのだろうと思う。
ただ、5節では「時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい」とも語られているように、いつでも、どんな状況でも、とにかく御言葉を語っていれば良いというのでもない。
時と状況をわきまえず、ただひたすら語り続けるなら、かえって反発を招くことにもなりかねないし、時と状況を見極め、その上で、効果的に御言葉を語ることができれば、それが好ましいのだろう。
相手がうんざりするような仕方では、かえって逆効果である。
「あなたのお話しを聞いてみたい」「あなたから聞きたい」そんな風に思ってもらえたら、幸いだろうし、できることなら、そのような機会が与えられるよう「目を真覚まして感謝を込め、ひたすら祈り」続けていきたいものである。